どうもこんにちは、死をテーマに記事を書いていたらブログ自体と本人のモチベーションが死んでしまった
”死テラシーブログ”
でございます。
今回は雑記になります。
今回のテーマはズバリ!
「死の民主化」革命論!
といった内容になります。
いかにも、頭が悪そうな浅~い思考によるものなのですが、ほんとに大事なことなので自分自身に言い聞かせるつもりで進んでまいります。(このブログの閲覧数はゼロに近いので日記のようなものなのです…)
そもそも、「死の民主化」とはいったいなんなのか?
筆者が勝手に作った造語です。
人は必ず死にますよね?
必ず死ぬくせに、なぜか死について詳しく考え込むことはしませんよね?
というか避けているように感じます。
とにかく、死という得体の知れないものから自分を遠ざけたいと考えるのでしょう。そうすることで、死について何も考えなくなるようになります。
おそらくこれは、生物が誕生してから現在のヒトに至るまでの進化の過程で欠かせないものなのでしょう。
ざっくり言えば、死について深く考え込むことなく、死については楽天的に日々を過ごしてきた個体が多く生き残っているということになります。それが学説の一つとして提唱されているようです。
死についてあまり考えないようにするとどうなるのか?
死という現実をどのように受け止めてよいかという冷静な判断が自分ではできなくなる
そして
専門家に頼る(医療や宗教など)
専門家の言いなり、操り人形になる
自分の命や死に方が操作される
自分の死が搾取される…(お布施を払いなさいとかこの治療を続けなさいとか)
自分という肉体・精神が何者かによって操作され強要され奴隷のようになってゆくことはぜったいになりたくない。
個人で死について知識や教養を高めて、自分自身の死を専門家から取り戻そう!
- 死は医師の所有物ではない
- 宗教家の専売特許でもない
- 専門家の理論だけで語れるものでもない
死は、 生きているすべての人間が必ず向き合う“個人的な現象”
なので、自分の死に方、自分の死は自分で決める、誰の指図もうけないぞ!
その自由を勝ち取るぞ~!
みたいなことを考察してみようと思います。
注・とーっても個人的な妙な考察なので本気にしないでください!戯言です!
