餓死で死ぬという提案

自殺

どうもこんにちは、いかがお過ごしでしょう?

”死テラシーブログ”でございます。

スーパー弱小ブログなので、炎上することも無く、お気楽に好き勝手書いております。

最近、オランダの安楽死についての本を読んでいたら、終末期に餓死を選択する人がいるという事が紹介されていました。

自分の最期を決める方法に、餓死という可能性について考えてみたいと思います。

参考文献 「安楽死のできる国」 著・三井美奈
・この本はオランダの安楽死法への道のりをジャーナリストの目線で紹介されており、餓死についてのみを扱った本ではありません。このブログでは、絶食死の具体的な方法は紹介しませんし、私自身知りませんのでここでは追及しません。

 

厳重注意・ここでは絶食死を進めている訳ではありません。こんな考え方もあるのだという一つの選択肢案です。生きる事に対して気持ちが少しでも楽になっていただけることを目的としています。心身の異常を感じていたら病院へ行きましょう。

 

餓死は”アリ”かも…

みなさん餓死というとどのようなイメージでしょうか?

飢饉や紛争、といったような地獄絵図のようなイメージをする人が多いと思います。

自身も全く同じです。

とてもとても恐ろしく、耐えがたいもので、人が人を喰らうような様をイメージしてしまいます。

地獄そのものといったところでしょうか。全く持って拒絶反応しかありません。

しかし、この本を読んで餓死の印象がちょっと変わりました。(しつこいようですが餓死の本ではありません)

結論から先に申し上げますと。

生きる事に疲れたら、闘病生活に疲れたら、

餓死という選択肢はあってもいい

今現在はそのような結論に至りました。

…?

いやいや、餓死なんて無理でしょう。

絶対に上手くいかないし苦しい時間が半端なく長いものになってしまうから、絶対に嫌だ。

そんな声が聞こえてきそうです。

ホント、そのように思います。

しかし、ちょっと考えてみたら精神が落ち込んでいる時は食欲って無いですよね?

病気や大きな怪我をした直後も今まで通りの食の量では無いですよね?

入院や自宅療養といった環境の変化という影響もありますが、

とにかく、食が細くなる事は必ずあります。

薬や療養の効果が出てきて、少しずづつ食べられるようになる。浮き沈みを繰り返しながらゆっくりゆっくり回復して、今までのペースになってきます。

そして、ようやく普段の生活に慣れてくるのだと思います。

また、年齢を重ねると食べる量が減っていきます。

カンタンに言うとゆっくりと死に向かっているのですね。

食べられなくなる 食べたくない

という現象は、一回死に向かい心身ともに底に落ちて、身体と胃腸を休ませてから、その反動によって回復に向かってゆくのだと思います。(素人なので妄想です、気になる方は自分で調べてね勉強、勉強)

じゃあ、食べたくないのならば、別に無理して食べなくてもいいじゃん!

食べたくないの延長線上の絶食死を選択してもアリなのではないか。

そんなふうにも思えるのです。

コメント

  1. Left より:

    いつもお世話になっております。
    このちょっと難しい記事も動画にしました。

    お楽しみください。

    https://youtu.be/uq3fKpJJRwc

    • なかなか なかなか より:

      ありがとうございます。
      この記事は、動画になる前にむふむふさんに褒められた記事でした\(^_^)/
      コメントが来るのは動画のおかげです❤

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