死生観独学・一年間で思ったこと

雑記

どうもこんにちは

誰も得しない 無益のブログ 秘境ブログ

”死テラシーブログ” でございます。

今回は、超私的雑記になりますので、閲覧しない事をお勧めします。マジ時間の無駄です、この記事はほぼ自分に向けて書いております。

死生観を綴るブログを始めて一年経ちましたが、無風のまま時間だけが過ぎていきました。

独学で始めた死生観の勉強、一年経って何か変化があったのかどうかを述べて行こうと思います。

結論から言うと

特に大きな変化はなし

というところです。

この活動を始まる前から、死について思う事が多くて死を否定的に考える事に違和感がありました。

カンタンな話

死と友達になっちゃえばいいじゃん

死と友達になっちゃえば、死が怖くなくなれば、

人生明るく楽しいものになる可能性があるのではないか

そして

生きるも死ぬも自分次第

死を怖がらず客観的に見つめる事で、今自分の成すべきことやこれからの人生の道筋、他人や周囲の人間への振舞い方、健康や思考力…などなど死生観を養う事は生きる上で様々な事柄に影響を与えるモノだと考えています。

死を肯定的に捉える事は、今生きている事が素晴らしいという事になるのではないか、そのような事を学習する前からボンヤリと考えていましたので、いざ学習すると

そのまんまじゃん

という、確信に変わりました。

確信に変わるという変化は確かにありましたが、死の肯定思想を180°ひっくり返されるというところまでには至っておりません。今後勉強を続けていくことによって、死生観を180°ひっくり返される書籍や人物に出会えることがあるかと思うと、わくわくしてしまいます。

これからが楽しみです。

そして、もう一つ

「自殺」

についてです。

勉強前は、

”死にたい奴は死ねばいい”

そんなふうに端的に考えていましたが、自殺に関する書籍を見てみると、少し違うなという事に変わりしました。

一番感じた部分は、自殺者はこうだという固定概念がありますよね、これ全然当てはまりませんよ。

自殺者が100人いたら100通りの環境があって100通りの考えがある、概ね行動や思考は似ていてもそれは人それぞれ全く違うものであって、他人が干渉できる類のものでは無いと感じました。

また、故人を取り巻く外部の人間はどうして?なんで?といった理由を見つけたがりますが、そこはあまり重要な部分ではないものだと思います。

自殺は周囲の人間が干渉できるもではない

本人の気持ちは本人にしかわからないので、本人の意向を最大限尊重するという事が周囲の人間が唯一できる事だと感じました。

神秘的というか神々しいというか

自殺とは神聖な神事のように感じました。注・自殺を美化するような意図ではありません

今現在、自殺に関しては肯定も否定もしません、その人の想いを尊重します。

もちろん、周囲の人間が自殺を思い留める事ができるというのも事実です。周囲の人間が希死念慮を持つ人間の話を聞き落ち着かせ、自殺を思い留めさせる事は大切な事です。

それでも漏れてしまう人、すり抜けてしまう人がいるのも事実です。

100%を目指すのは現実的ではありませんし絶対に無理です。

だから、柔軟な考えをもって自殺に相対することが必要だと考えます。

まだまだ、勉強中ですし勉強が終わる事はありません。

今後自殺について勉強していく中で、思考の変化が現れる事があるでしょうが、その時はまたこのブログに綴ってみたいと思います。

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