こんにちは、秘境に佇む”死テラシーブログ”へようこそおいでくださいましてありがとうございます。
あなたとの奇跡的な出会いに感謝いたします。
今回は、自殺自体を努力目標に掲げる人を応援するなんてことはできるのだろうか?ということを考えてみたいと思います。
死への活力
スイスで自殺カプセルというものが認証されそうだという記事を見て思ったことです。
日本人がこのカプセルで自殺するにはどれくらいの困難が待ち受けているのだろうか、スイス国籍を取得しなければならないのか?費用ははどれくらい?カウンセリングは日本語通じるの?英語なら英語をマスターしなければならないし、まずお金貯めないと…
こんな困難に立ち向ってまで自殺する人がもしいたのなら、アレッってなりませんか?!
そんな困難を克服した人は死にたい気持ちは別の何かになっているんじゃないの?
だって、外語喋れて、そこそこお金貯まって、何しろ困難を乗り越えた自身がありますもんね。
死にたい人が起こす積極的な行動ではないように思えます。
強制的に死へと向かうエネルギーと強制的に生きなくてはならないという生のエネルギーは同じものなのではないでしょうか。
生きたい願いと死にたい願い
どちらも種類としては一緒のように思います。
死にたい願いをまずは尊重してそのエネルギーの方向性を少し角度を変えてあげれば生きるエネルギーに変えることはできそうな気もします。
死ぬための健康?
自殺するにはきっと莫大なエネルギーが必要なものだと思います。一つの例として自殺を決断する方々は自殺するエネルギーもなくちょっとのエアポケットのような気持ちの隙に衝動的に自殺してしまうこともあるかと思います。
ちょっとした気持ちと、ちょっとした事故で死んでしまう人。
ひどく酒に酔って刃物でちょっとなんてこともあるでしょう。
酔い覚ましで高層階からぼんやり景色を眺めていたら…なんてこともあるでしょう。
自殺する方にはそれぞれの思いがありますので、自殺者と一括りにするのではくて、人それぞれの死への哲学があるのだと思います。
百人いたら百人の人生と自死がありますから、簡単に他者がその思いに介入することはできませんが、とても強い意志があったということは断言できますよね。
普段生きていて、死へ向かっていることだけは事実としてありますが、いざ自殺となるとこちらからの積極的な行動をしなければ成り立ちませんよね。この行動力はどのようなエネルギーなのでしょう?
死へのエネルギーを生へのエネルギーに変えることが上手にできるならネガティブ思考から抜け出せると思いますが、そうはカンタンにはならないでしょう。
もともと、個人が持っている行動力が強ければ強いほど自殺念慮の気持ちも強い事と思います。
努力目標が死ぬこと、努力目標が生きる事、どちらも尊く感じるのは私だけでしょうか?
自死をするためにご飯を食べて、自死をするために知識を得て、自死をするために睡眠をとる。
生きる行動とまるっきり同じのように聞こえますよね。
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