みなさんこんにちは、死生観を綴る弱小秘境ブログの
”死テラシーブログ”でございます。
今回は、日本一周をバイクで成し遂げてダムから飛び降りて自殺した若者の死について感じた事を綴ってみたいと思います。
ここで僕の旅は終わり。
もう苦しみたく無いし悩みたくも無い。
最後に日本一周出来て幸せだった、楽しかった。
さようなら。 pic.twitter.com/2u0TMeBbiV— kota (@20_ZXT02K) October 2, 2022
彼の死から感じる事があると思いますので探ってみましょう。
みなさん優しいコメント、手厳しいコメント、嘆き悲しむコメントいろいろあります。
私の場合 「お疲れさまでした」 この一言に尽きますね。
ほとんどの方は自殺の理由探しに躍起ですが、理由などは本人にしかわからないので理由探しはあまり意味が無いのです。
自殺の理由を無理やり探して、自殺を回避できたのではないかと考えて、死ぬ事無いのにな~と悼むことで自分が優しい人間であることを実感する。
そんな心理が働くのでしょうか?どうでしょう?それは言い過ぎですね、しかし優しいコメントが目立ちますね。
自殺の理由探しとは少し違うのですが、自分だっらたどうかと考えてみると。
日本一周を成し遂げたような人が自殺するなんてもったいない、信じられないのではなくて
逆だと思います。
自殺を決意したがために日本一周をした
そのように考えます。
私だったら思い悩んで日本一周をするのではなく、全てを決断した後に旅に出ます。
もう全て思い残すことは無いと、
達成とか、線引きとか、キッカケとかそのような類の事のように感じます。
それは私自身にも言える事で、今までの人生で残したものはありません。大満足な人生でしたのでいつ死んでもいいのです。
自身も北海道の素晴らしい景色(早朝のコッタロ湿原)を見た時、いつ死んでも悔いが無いと思った事がありました。
それがきっかけになり死生観に興味を持ちました。
そのような意味でも、この若者と考え方の方向性は似ていたと思います。
彼はもともと、ADHDという病気で思い悩んでいたとのことでした。
自身もバイクに乗ります。主に北海道をテントを持ってロングツーリングをしていましたので、バイクの長期旅の事は知っております。
よく自分探しの旅なんて言いますが、旅から帰ってきても自分の事が深く理解できた、人生観について特別に得たものというものはありませんでした。
帰る場所があるという事の確認をするために旅に出ていたとも思えるほどです。結局元のさやに納まるというところに落ち着きます。
では何のために旅をするのか?
楽しそうだったからという事ぐらいだったのでしょう。
人生観や、死生観を持ち合わせての旅などという事は私はしたことがありません。
元のさやに納まる事は彼にとっては考えられないことだったのでしょうか、もしかしたら生きる希望を持ち合わせたのなら旅には出なかったのかどうかはわかりませんが…
生きる=地獄を生きる 地獄を覚悟したのならば、旅に出る必要は無いからです。
人生の決着をつける必要は無いからです。
他人に無理やり生かされてダラダラ、ずるずる生きてゆく、山もバイクも何もいらない、何もなくてい、薬と餌を与えられ無駄な呼吸をし、だただ時間が過ぎるのを待つだけ。
そんな日々と決着をつけるために旅に出たのでしょうか。
生きるためのエネルギーならぬ、死ぬためのエネルギー、生きるのが楽しいのではなく、死があるからこそ楽しめる、長く過酷なバイク旅はどのような事があっても楽しめることだらけだった事と想像してしまいす。
だって、旅を終えたら死ぬんですから。
そんな負のエネルギーを生きるという方向へ持っていけたらいいのでしょうが、なかなか難しい事ですよね。
コメント