死を身に付ける 戦争は無くならない

歴史

こんにちは、意味の無い駄ブログ

閲覧数0なので、長~い独り言

”死テラシーブログ”です。

今回も、私見という道をガンガン攻めて行きたいと思います。

戦争の話を知人とした時の話

2022/4/18現在ウクライナとロシアとで戦争を行っております。

ここ日本のテレビやネットニュースでは概ね西側寄りの感性で報道しており、悪者はロシアと言うことになっております。ここでは、テレビやネットのニュースから飛び込んでくる生々しい映像や画像が何回も流され生きる事や死ぬ事への関心も高くなっていることと思います。

そのような時にたまたま知人と戦争の話になりまして、その時感じた事を綴ってみたいと思います。

八方塞なら死ねばいい!

死を普段意識していないと、どのようになるのかを実感できる出来事がありました。

知人が戦争の悲惨さを語るのですね、ロシアやプーチンさんの事を徹底的に批判し、そして最後には日本も某国に侵略されて、戦争や死に対してひどく怯えるというオチになったのです。

この方、50歳になろうというお方です。

まあ歳は関係ないのですが、私は少しびっくりしてしまいました。

平和な世の中がいつまでも続いて、自分はいつかは死ぬが今すぐではない、80~90歳位で何かの病気にかかって眠るように死んでゆくのだろうなどと思っているのでしょう。

もしかしたら、死をタブー視して全く考えないようにして、目の前の生活を楽しく生きているのかもしれません。

それは、それでよい事ではあります。

他人が批判できることではありません。

しかし、漠然と想定していたレール通りに上手くいけばいいのですが、思いどうりに行かない事の方が多いのが人生です。

この方は、思い描いていたレールを信じきっていたので、今回の戦争で慌てふためく、いらだつ、不安に駆られるということになっています。

自分は、人生は思いどうりにならないから思いどうりにならない事の確率の方が高いものだと考えています。

なので、私は。

いつでも死ぬ準備をしている

ということに行きつきます。

思いどうりになる、思いどうりにさせる事は十分に大切な事です。生きる希望や、生きた証などと感じる方もいる事でしょう。

しかし、前進すれば壁にぶつかります、乗り越えられる壁とそうでない壁は必ずあります。

乗り越えられない壁とは一つ例えるとするならば

戦争がその一つです。

戦況によって個人ではどうすることもできない出来事が存在することは容易に想像できますね。

どうしても越えられない壁、逃げ場のない壁があったのなら

死ねばいい!死んでも仕方がない!

という考えを持つこと

と考えます。

極端ですが、単純明快な答えは、異常な精神状態を健全に保つためには必要になってくる大切なモノであると考えます。

絶対に生き抜くぞという考え方はとてもエネルギッシュなので、いつかは疲れてしまいます。だからこそ、死んでもいいという考え方をガス抜きに一つ持っていてもらいたいのです。

お守りみたいなもんですね。

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