子供を殺す日本の風習 殺児 堕胎

歴史

マジか~!本当に殺しています

知っていますか?日本人は産れたばかりの赤ちゃんをすぐに殺すといった風習がありました。そこには様々な理由があって当時としてはごく普通に行われていたようです。古事記の神話の中にも殺児が記されています。

現在の感覚では考えられない事ですよね。

世界にも殺児はあるようですので、日本だけが特別で残酷な民族だ!なんて決して思わないでくださいね。

さて、日本の殺児は一体どのようなものだったのでしょう。子供を殺す風習を勉強して自分の死生観に磨きをかけたいとおもいます。

 

神様でも子供を殺す

古事記の神話の中にイザナギノミコトとイナミノミコトの子、水蛭子(ひるこ)の例があります。

「然れども、くみどに興して生める子は、。此の子は藁船に入れて流して去てき。次に淡島を生みき。こも亦、この例には入れざりき」

水蛭子(ひるこ)と名付けられていて、ヒルのような手足が奇形だった、手足がなかったなど想像できますが、とにかく産まれた我が子をわらの船に流してしまったようです。

日本の最古の法典「大法令」には、堕胎や殺児については刑罰がなく問題にされるようなことは無いとされているそうです。王朝時代はかなり盛んに殺児が行われていたみたいで、難産の苦しみから逃れるためや、快楽での妊娠からの堕胎が理由でした。

「今昔物語」「源順集」にも記されています。江戸時代には、各藩の圧政による地方一般民の生活苦による殺児が全国的に広がりました。そのことがわかる言葉、隠語としていまでも残っています。

間引き、もどす、かえす、等です。

 

子供の命は軽い?

王朝時代では「今昔物語」に難産の苦しみを逃れるために堕胎を企てた女性のことが書かれていて、「源順集」には堕胎に関する和歌が載っています。下級層の人々は生活が苦しいので殺児をしていました。

物語や本、歌集に堕胎のことが普通に記されているということは、罪悪感は全くないかのような印象を受けますね。

今でいうと、堕胎や殺児の出来事をイッターでつぶやいたり、インスタに載せたりでしょうか。それは言い過ぎか

江戸時代では、各藩の圧政によって主に地方民の生活苦などにより、殺児が全国的に広がったといわれています。

方法は窒息によるもので、以下によります

・出産したと同時に母親が膝に敷いて圧殺する

・絞殺

・顔に布きれや紙片を張っての窒息死

・草やわらを口の中に入れて窒息死

・臼のような重いもので圧死

・土中にうめる

・産婆に命じて絞殺

などがあったことが記録されています。

江戸時代の堕胎、殺児は、徳川期300年を通して人口の増減がほぼなかったという事実がありますが、殺児と関係があるように思えます。

全国の産児制限の例

日向では一児製。日立、上野、下総ではだいたい二児製。関東~奥州では百姓は一~三人、四人目以降は殺していたと言われています。これらの中には女児のみを殺した村もあったようです。

迷信、奇形を嫌ったもの

土佐では双子や三つ子を恥として殺されました。双子が産まれたときはその一人、特に男女の双子は「畜生腹」といって忌み嫌われました。

この結果、あたりまえですが。人口減少、農村疲弊、税金減収になり幕府や各藩は様々な禁止令を出したが、いづれも刑罰は軽かったといわれています。

殺児を禁止する布令や触書には効果はなかったようです。

幕府各藩による貧民の救済

赤ちゃん保育の促進

妊婦手当金給付

出産時の産婆利用促進

生後、赤ちゃん手当金を給付

幕府各藩様々な対応策をしたが、貧困階層、下級階層の堕胎・殺児の風習は暗黙の了解とされ明治維新になっても殺児の悪習はなくならかったそうです。

 

悲しい歴史を糧に

古事記からの神話から始まり、古今和歌集にも堂々と歌われる。王朝時代から明治時代までも堕胎や殺児は庶民の身近にあったものでした。

堕胎や殺児の理由は、難産の苦しみや快楽目的、生活苦、奇形や迷信のために産まれたばかりの命が消えていったのです。国や役所からの援助もありましたが、下級層までは届かず明治期まで堕胎や殺児の風習は続いたのです。

このような歴史を勉強していくと、現代でも子殺しは普通に行われているように思えます。育児放棄、幼児虐待、乳児放置事件などのニュースはいまだに後を絶ちませんね。ここでは、問題点を議論することはしません。また、命の尊さを訴えかけることもないです。

いつの時代でも形は違えど、堕胎や殺児は横行しています。このような歴史をどのように考えるかは自分次第です。

明日からどのような考え方で生きていこうか、学校でのいじめがひどくなる、居場所がない、仕事が全くうまくいかない、親を殺したい、死にたい……あなたにとって命とは何なんでしょう?ちょっと立ち止まって考えてもらったら嬉しいです。

”死テラシーを高めよう”

 

参考文献…生きることと死ぬこと 大原健士郎

類聚名物考 辺策発蒙 胆大小心禄 盤城誌 子孫繁昌手引

道徳塗説 百姓嚢

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