みなさんこんにちは、成仏できずに彷徨い続ける
”死テラシーブログ”でございます。
今回は、「般若心経」という呪文を唱えて、般若心経を極端に勝手に解釈して、自分勝手に納得してフランクに生きよう。
といったような趣旨になります。
般若心経を深く理解するということではなくて、自分なりに解釈してみようということに重点を置きます。
般若心経には空とか無というワードが出てきます。
漢字一文字というシンプルなものに様々な意味が込められています。
そして、様々な解釈ができます。
となると般若心経の”空”とか”無”というものを自分自身に実装するとなると、最終的には自分自身が納得して腑に落ちるところまで持っていく解釈が必要です。
どんなにエライお坊さんや学者が、「空とはこのような意味なのですよ」と説教されても自分が納得できなければ意味は無いのです。
般若心経…言っている内容、ざっくりとした意味は分かるけど…そうやって生きるのムリじゃね?
そんなこと言ったら身も蓋も無いじゃん!
なんて感想を抱くこともあろうかと思いますが、そこがポイントになるのです。
般若心経からすると、自分自身は”無”肉体も精神も思い出も友達も家族も全て”無”なのだそう。
無の境地ということで、今現在生きている場所は浄土なのだそうですよ、皆救われているのだそうですよ。
そんなわけあるかいっ!
なんてツッコミを入れたくなるような気持ちはわかります。
そして、ツッコミを入れるべきです。
しかし、般若心経はそんなツッコミをも包んでしまうのです。
無であると同時にそこには得体のしれない神秘的な
”なにか”
が存在するのだそうです。
そんなバカな凡人(筆者)が般若心経を掘り下げてみたいと思います。
