教えの解釈なんて人それぞれで良し!

どっかのエライ人が言ってたとか、何かの本に書いてあったとか、フォロワー○○万人超えのインフルエンサーがYouTubeで言っていたとか
そんなのどーでもいい!
自分がどう感じて、自分に装填できたのか否かが肝心なんだよね!
般若心経でも仏教のお経でも学校で習ったことでもおんなじこと。
お釈迦様の弟子たちの会話…
そういえば、お釈迦さまこんな時、こんな事言ってたよな~覚えてる?
どんな意味なんだったっけ?
こんな意味じゃない?
いいや違うよそのようなニュアンスじゃなかったような気がするよ…
要するに弟子たちが書き残したものなので、解釈は人それぞれなのです。
この教えを考えたお釈迦様が、お空の上から見ているとしたなら
そーゆーことじゃないんだけどなぁ~ (;^_^A
みたいなことはあると思うのです。(想像)
だから解釈は人それぞれでいいじゃん!
という感じで進んでまいります。
突然ですが、ここで般若心経の一部をご紹介
般若心経では”無”というワードが、これでもかというくらい出てくる場面があります。
是故空中、 無色、 無受・想・行・識、 無眼・耳・鼻・舌・身・意、 無色・声・香・味・触・法。 無眼界、 乃至、 無意識界。
無無明・亦無無明尽、 乃至、 無老死、 亦無老死尽。
無苦・集・滅・道。 無智、 亦無得、以無所得故。
無無明・亦無無明尽、 乃至、 無老死、 亦無老死尽。
無苦・集・滅・道。 無智、 亦無得、以無所得故。
- 目も耳も鼻も舌も身体も心も、固定した実体は無い
- 見えるもの・聞こえるもの・匂い・味・触覚・心の動きも全部、固定じゃない
- 苦しみも原因も終わりも道も、ぜんぶ固定じゃない
- 知恵も悟りも、そもそも「これが絶対」という形では存在しない
- 得るものも無いし、失うものも無い
- だから、執着しなくていい
- だから、軽く生きていい
みたいな意味らしいよ。
しかし、先ほど述べたように解釈などは人それぞれでいいのです。
このブログでは以下のように解釈してしまいましょう。
この世界では
存在も
身体も
心も
思い出も
財産も
何も無し存在無し
生きている意味も目標も特に無し!
それでいいじゃん!
生きている意味も無い→生きるの定義も人それぞれで良し
なんとなく漂っているだけ、金が無くなって貧しくなって、病気になって、生命活動を終える。
それでぜんぜん良しとする。
だってすべては
”無”
なのだから。
そんな無責任な無の境地は、どのように実生活に装填したらいいのか次の項で見てみましょう。
