まとめ・何事も”あきらめる”ことが大事!

あきらめる、というとすごく後ろ向きでネガティブな印象を受けると思うのですが、ガス抜きにはちょうどいいと考えます。
あきらめると一瞬圧力が無くなるし、いったん手が止まる、思考回路が寸断される、隙間ができる、これが一番大切なところ。
どうしてもやらなくてはならないことでも、あきらめてみる、
そうするとほかの道を考えられようになる、
ほかの道(可能性)を考えるきっかけになるのが
ここでいう所の、
あきらめることなのです。
あきらめると般若心経にどのような関係があるのかというと、
価値を固定しないこと
につきます。
般若心経では”無”無”無”と無ばっかり出てきますが、執着しないことなどと訳されることがありますが、このブログでは意味無しやる気無しでも全然OKなのですがそれはあまり現実的ではありません。
どのように解釈するかといえば
再び言います。
価値を固定しないこと
部活動の先輩にお前がこれをいつまでにやれっ!
と言われます。
自分がいつまでにそれをやらなければならないという枠が固定されます。
その固定された枠(ルール)を無にすること、自分のコントロール下に置くことができれば楽になるということです。
たとえば誰かに手伝ってもらうとか、先輩の上にいる先生や先方に期限を延ばしてもらう交渉をするとか、組織を辞めちゃうとか…選択肢は無限にあるということにもつながるのです。
実際そんなことできないよ!とツッコミが入りそうですが、
やらなければならないという枠が固定
を一旦”無”にしてしまうという、そのインターバルというか隙間が大事なのです。
その隙間から打開策が打ち出される可能性が出てくるのです。
まあ、打開策が出てこない場合も当然あります。
そんな時こそ般若心経の出番なのです。
八方ふさがり、出口が見えない、そんなときに神頼みとかおまじないといったようなときに便利なのです。(これは後で述べます)
執着というとお金や利権、地位などをイメージしますが、こうでなければならないという固定概念も執着と同じことなのですね。
男だから女だから優秀だからスタイルが良いのだからセンスが良いのだから…
こうあるべきだ!
このような固定概念に縛られないで、そもそもそのようなものは存在しない無なのだから自由な生活を送ればよい。
そして選択肢は無限にある。
無限とは宇宙と似たような神秘的な響きがある。
理屈では説明できない何かがあるのです。
解釈は人それぞれ、生きていようと死んでしまおうと…
浮世は無
自分自身も無
悩みも無
時間も空間も無
それでいいじゃん、気の向くままに生きたら良いし野垂れ死んでも全然アリ、だって可能性は無限だから。
なんだよ結局物事にこだわるな、モノや金や見栄などに執着するなよってことだよね?
そんなことは自分にはちょっと無理!
ということで一番しっくりくるマインドで言えば
あきらめちゃう
やる気”無し”でもいいじゃん
気力も”無し”
全てが”無”それでいい
ドシンプルで”無”でいい
基本的に自分は死後の世界も”無”でいいと思っている
だったら今の自分も”無”でもいい
友達や家族や思い出、たくさんの経験だって
無でいいじゃん!!
経験や思い出も固定してなくていい、常に頭の中で移ろいでいるのだから。
”無”や”空”を定義するのはどっかのエライ人に任せておいて、庶民はおまじない程度に般若心経をお守りのように暖かく身につけることをお勧めします。
なんだかわからないものを信じる人と信じない人、知らない人との差は大きいのです。
ケセラセラとか
アブラカタブラとか
チチンプイプイとか
痛いの痛いの飛んでけ~!
明日は明日の風が吹くのさ~!
般若心経とはそのようなものと解釈して、頭の中だけでも自由気ままに生きてゆこう!
”死テラシーブログ”
