聞いてた話と違うぞ!親を自宅で看取った話!

雑記

過大な知識が本質を見失わせる 死に方は人それぞれ

本を読んでいると様々な情報や事例を目の当たりにしますが、それはあくまでも一例に過ぎないので、大多数がそうであるかもしれないけれど、自分にあてはまるかどうかはわからない。

要するに思い込みに支配されると本質を見失う事になります。

まず、自分はどのように死にたいのか?

まず、そこだと思います。

理想の死に方をイメージできれば、そのために何をすべきかは見えてくると思います。

運動習慣や食生活を見直して健康に気を遣うのもいいし、やりたい事をやりまくって食べたいものを食べまくって病気になって死ぬのもよし。

それは人それぞれ、長生きが成功では無いし短命は残念かどうかはわかりません。

わかりませんばっかり(;’∀’)

自分自身最期への考え方を確立することも大切です。

 

もう一つ頭に入れておきたい事は、世の中の流れ。

介護や医療は財源や労働力に限界を迎えつつあるような気がします。

今まで通りの超割安なサービスや医療を受け続ける事はできなくなると予想すれば、

早めに死んでねっ!

と、遠まわしに言ってくるような国の政策が登場するかもわかりません。

すでに登場している節もありますが…

また、高齢者に金をかけないような世論の風潮が現れるかもしれませんし、高齢者側からの過度延命治療拒否ムーブメントが現れることも考えられます。

 

余談ですが奈良~平安時代の一時代には、金も手間もかけないように、死体を埋葬する習慣がなくて川に流したり雑木林に放置していたそうです。仏教による火葬や儒教による薄葬思想などが理由の一つとして上げられ、そのために奈良~平安時代の人骨はほとんど出土していないそうです。

参考・骨が語る人の生と死展

死者に金と労力をかけない薄葬思想はこれからの時代にマッチしているように感じます。

 

実母も、病院側から延命措置をしつこく推されることが無かったことについて、

「今の時代はそうなっているのかもしれないね~」

なんて言っていました。

延命措置をしてカネ儲けができたとしても、マンパワー的なことやベッド数など物理的に対応できないのかもしれません。

早めに死んでねっ!

そんな世の中になった場合

どんなふうに死にますか?

こんなことを想像してもいいかもしれないですね。

認知症の世話は大変だ~痰吸引はとても苦しがるからやる方も心が痛む~自宅介護は絶対に無理だよ~

これは本当の事なのだと思います。

しかし、状況は千差万別で必ずしも自分もそうなるとも限らなという事を学びました。

死に方は人それぞれ、環境も状況も容体も人それぞれなので、自宅でゆっくり最期を迎える挑戦をしてみてもいいかもしれません。

聞いてた話と違うぞって事は必ずあるはずです。

この話もその一つですが…

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