日本のために命を捧げよ!? 高齢者と自殺の歴史(切腹、特攻、集団自決)

介護・福祉

どうもこんにちは

いつまでたっても成長しないブログ

”死テラシーブログ”

でございます。

注・これは本当に偶然で、ビックリなのですが、「高齢者と集団自殺」について成田悠輔さんという頭のいい方がネット動画で発言された以前に仕込んでおいた記事になります。成田悠輔さんと着目点が同じだったことに感動しております。この記事は成田悠輔さんの発言についての感想というものではありません。

今回は、自殺と日本人の相性と、高齢者問題について考えてみたいと思います。

歴史の本を読んでいると、日本人は何かと死にたがります。

忠誠を誓った証として、自身の失敗の清算として、大切な何かを護るため、自己嫌悪に苛まれ…自分から身を引くという考えがあるのでしょう。

他の国の事はしっかり調べてはいませんが…とにかく日本には、自ら死ぬという描写や史実は多数あります。

主人公が自らの命をなげうって、世界を護るなんて描写は何度見た事か。

外国ではあまりないことなのでしょうか?どうなんでしょう?

自分が犠牲になり、何かを誰かを護る事が美しいとされて、物語になり語り告げれていきます。

そして大衆はそこに感動して今をしっかり生きてゆこうと前向きな考えになるのでしょう。

前向きなのはいいのですが、そこには必ず死があります。

あくまでも前向きな死というところが落としどころです。

死が無いと成立しないのでしょう。

忠誠を誓った死を描いた、忠臣蔵などはまさにその典型でしょう。

忠臣蔵の物語は江戸時代でも大人気となり、今現在にも語り継がれるという事は、日本人の気質を表している事でしょう。

どうして、日本人はこのように考えるようになったのかはここでは追及しません、それぞれの文化には歴史、貿易、戦争、地形、地質、気候、生殖動植物…様々な要因によってつくりあげられた人種なので、一言では言い表すことはできないでしょうが、

とにかく

自殺と日本人には他国とは一味違う、深い関係にある事と思います。

話は少し逸れましたが、今回の結論です。

結論! というか提案 というか自身の願望です(;’∀’)

国の為、地球環境の為、次世代の為にと、自殺する老人がいたとしたのならば

美化されてもいいのではないか?

神として祀ることとしてもいいのではないか?

という事を考えてみようという提案です。

提案というよりも私ならこうありたいという願望でもあります。

個人的に寺・仏様よりは神社・神様が好きなので、最期は神社葬で神になりたいと思っております。

・これは考え方の提案であって、こうすべきだ!こうあるべきだ!というものではありません。ご長寿の方も、延命治療中の方も、認知症の方も障害者の方も生きる権利は至極当然あります。自身の信念に基づいてしっかり生き抜いて頂きたいと思っております。そのような方々を揶揄する意図は一切ありません。個人で自身の老後や日本・世界・生物・地球の未来を考えてみようという提案です。

コメント

  1. Left より:

    本日この記事を動画にして配信しました。どうぞ観てください。

    https://youtu.be/ZSTRmRN6UoE

    • なかなか なかなか より:

      内容にコメントをしてくれる人がいるのはレフトさんのおかげです、私のブログにコメントや閲覧はほとんどありませんので、励みになります。

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