皆さんこんにちは、秘境にひっそり佇む
”死テラシーブログ” へようこそ
貴方様の奇跡的な出会いに感謝しております。
今回は、
死に好かれている人はいるのか?
死に嫌われている人はいるのか?
そんなことがあるのか?
完全持論でお送りしたいと思います。
恋愛に疲れ敗れ自暴自棄になり、最終的には自殺を考えてしまう。
恋愛はとてもつらいものですよね、というような恋愛について深く考えるという内容ではありませんので、ちょっと違うなって思った方はここで離脱してください。
時間の無駄になってしまいます。
では、さっそくまいりましょう。
死との相性って存在するのか?
死というか、死に神というか、死との相性を感じてしまうことが世の中には存在します。
ちょっとした事故や病気であっという間に死んでしまう人もいれば、精神的にも経済的にも病んで、さんざん悩んだ挙句に何回も自殺未遂をしてもなお死ぬ事ができない人もいます。
一体どうしてなのか、数学の確率でいえば回数が多いほど成功も多いはずなのです。何か他に理由があるのか?なんてことを考えてみたいのですが、答えは簡単です。
その時の状況次第だから
です。
タダのめぐりあわせです。
と解釈しております。
事故でも、自殺でも、
その時の気温
その時の立ち位置
その損傷の箇所
角度や時間、季節や天候…
キリがありません。
死ぬか死なないかは
タダのめぐりあわせです。
また、死ぬつもりは全くない、死ぬことなんてあまり考えたこともないって人に限って一瞬の事故で死んでしまうこともありますね。
マーフィーの法則なのでしょうか?ちょっとしたつまづきが最悪な状況まで発展して死んでしまうようなこともあるように感じます。
最悪は逃れたいと思えば思うほど、悪い方悪い方へどんどん進んで行ってしまう状況。
そもそも、悪い予感もつまづきさえも無いのに一瞬で死んでしまうこともあります。
《Murphy’s law》間違う可能性のあることは必ず間違える、というような皮肉な経験則を、法則として冗談めかしていったもの。元来は米国のジョークで、マーフィーは、「いくつかの方法があって、一つが悲惨な結果に終わるものであるとき、人は必ずその方法を選ぶ」という法則を述べた米軍のエンジニアという。
そんなマーフィーの法則も、その時の状況がそうさせただけなのだと思います。
神様だとか、運命だとかそのような類のものでは無いものと考えます。
宗教的に言えば、神様の思し召しとか、神様の生きろというメッセージなのだとか、今までのおこないとか、定めとかいろいろな言い回しはあるかと思いますよね。
現実主義的な要素の若干強い私は、想像や空想の話を押し付けられるのが少し苦手なのです。
実際に起こった出来事が
事実で
全てだ!
なんて考えが先に来てしまうので、運命ということではないものと考えております。
もちろん、宗教的な考え方を一切排除するようなことはありません。愛する人の死を受け止めきれない方などは宗教の救いを大いに受け入れて、しっかりと自分の人生を歩んでいただきたいものと考えております。
そんなことを考えていると、
死との相性って存在するように思えるのは私だけでは無いと思います。
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