餓死の予行練習!

雑記

生が尽きれば死は穏やかに自動的に訪れる

自然に死んでゆく時は穏やかに死んで行けると思います。

災害や事故など何かのアクシデントで死んでしまうこと以外の死では、死の瞬間は苦しいものでは無いという事を信じていれば、気ままに生きる事ができるのではないかという事が言いたい。

もっと言ってしまえば、アクシデントで死んでしまう事があっても死の瞬間は脳内分泌物によって穏やかに死んで行くのではないかと信じてみることが大事。

意識を失う事が良い例で、苦しまなくて済むように強制的に一時的に身体の自由を奪う事をします。

人には失神という機能が備わっているのです。

以下失神についてAIさんに聞いてみた。

災害や事故などの極度のストレスや恐怖を感じる状況では、失神が起こることがあります。これは、身体が過剰なストレスに反応して自律神経系が乱れ、血圧が急激に低下することで脳への血流が不足し、一時的に意識を失う状態になるためです。
例えば、恐怖やショックが極端に強い場合、交感神経が過剰に刺激され、その後副交感神経が急激に働くことで、心拍数や血圧が低下し、失神に至ることがあります。これは身体がストレスを軽減しようとする一種の防御反応とも言えます。

引用・pierrot

精神的なダメージも外傷的ダメージも自然のままにしておけば、身体が勝手に生きる方向へ導き、それがだめなら死ぬ方法へ導いてくれるのでしょう。

先の項で動物はストレスで食が細くなりそのまま死んでしまう事がある事を紹介しましたが、人間にも当てはまるように感じます。

精神疾患になって食が細くなったのならば、そのまま餓死するのもアリなんじゃない?

なんて事をお気楽に考える事ができるのなら、悩みも解消できるかも…

だってどうしても食べたくなったら食べればいいだけの事だし…

食べたくなるという事は、身体が生きる事を求めているという事でから、それに従えばいいだけの事。

悩んだら悩んだ分だけ餓死に近づいているのですから、大いに悩んだらいいのです。

そのまま餓死するのか、腹が減ってどうしようもなくて生き続けるのかを体が勝手に判断してくれます。

現代社会で街角で野垂れ死ぬ事等はあり得ませんけど、心身共に生きる事が困難になったら最終的には穏やかな餓死が待っている。

このようなマインドを持っている人と持っていない人では生き方は変わってくると思います。

中学校の時に好きだった先生の先生がこんなことを言っていたという話を急に思い出した。

【死にたいと思ったら餓死をしろ】

死にたいと思ったら簡単に死ぬ方法を模索するのではなくて、一番辛い死に方を耐えてから死ねという、死が訪れるその間に、生物的に生きる食べるという本能を呼び起こさせられるはずだ。

という事だそうだ。

今すぐにでも死にたい人は多いと思いますが、身体が健康であるのならば死ぬ事はそう簡単ではありません。

ビルから飛び降りたり、電車に飛び込んだり、首を吊ったり…

とーっても大変そうです。 怖いし。

ヒトは体が生きているのに強制的に自らの意志で生を遮断することはプログラムされていないからなのでしょう。

体も心も大きなダメージを受けたら回復するために活動が鈍くなります。

そうすると食欲もなくなります。

そのまま食べない飲まないと自然に穏やかに自動的に死んでゆくのでしょう。

当然、ストレスによる過食方向に振れる場合もあります。

だったらいいじゃん、

食べたいだけ食べたいもの食べまくって、

糖尿病になって免疫も無くなって、

他の病気も併発して、

食欲がなくなって、

餓死で死んでゆく人生は悪くないと思いますけどね。

”なーんにもしたくねー”

なんて思い、飲食しなかったら自動的に死にます。

”腹減って死にそうだーなんか食いてー”

なんて思ったら起き上がって何かを食べたらいいのでしょう。

熱を出してそのまま死んで行くものアリだなと思っていたら今回はたまたま回復したので、生きてみるか~と思っただけなので

今生きている。

ただそれだけ、回復しなかった死ぬだけ、それでいいんじゃない?

なんて思った。

”死テラシーブログ”

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