植物人間に価値はあるか? アドラー心理学と考える!

前向き思考

みなさんこんには、時間と電気エネルギーの無駄遣いをしている

”死テラシーブログ”でございます。

今回は、アドラー心理学の考え方と死生観について思ったことを綴ってまいります。

いつものように図書館巡りをしていたら、

アドラー心理学

関係の本と出会いましてさっそく借りてみました。

アドラー心理学とは、今ある現状をネガティブに考えてしまいがちなことは、全て自分自身でつくりあげたものであって、今ある現状や過去の記憶や環境が悪いせいではない。

自分の考え方を前向きに変える事で、物事は好転していくと言ったような、自分自身を肯定的に捉えて人生を楽しく生きていきましょう。

人間の悩みは全て対人関係の悩みであるそうです。

心理を理解したら、

世界もシンプルで、人生もシンプルな物であるそうです。(個人的な感想です)

嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え 著・岸見一郎・古賀史健

今回の参考図書になります。

このブログでは死生観の記事を書いておりますので、自己啓発系の本から何を学ぶのかといったことになるのですが、人生や生き方を前向きに指南してくれるので参考になる部分が多々ありました。

そこで、とある一節が気になりまして、考察していきたいと思います。

「そこにいるだけで価値がある」

という項です。

早くも自己啓発な臭いがプンプンしてきます。

この項では、寝たきり老人、痴呆や病で何もできない人間の価値について考察されています。

上記のような人にも価値はあるという事なのです。

うーん、わかりますよ、わかるような気はしますが、現実的にどうだろう?

スパゲッティ症候群やフルコードといったような状況(医療器具の配線、配管に繋がれたままの状態の事を言ったりします)や脳死や痴呆など、自分の意思は確認できなかったり、医療器具に全てを頼らないと生きることができないという生き方があります。

個人的に思う一番の問題点は、その状態がいつまで続くかわからないことです。

余命何ヶ月とかある程度の時間という枠組みがあれば、心構えもできるかとも思いますが、終わりが見えないという不安は少なからず付きまといます。

生きる事とは?

心臓と肺が活動していて栄養は直接体内に取り入れて、本人には意識はないが…

生きているの?

価値はあるの?

と疑問が湧いてきてしまうのは当然の事だと思います。

生きていいるだけでいい、それだけで希望になるとは周囲の人間の問題であって、病に伏せた本人からしてみればさほど重要では無いような気もします。

なんてったって本人には意識が無いのですから。

周囲のエゴために医療器具に繋がれて生きるのか?

周囲の人間のために心臓を動かし続けるのか?

誰のための命なのだ?

本末転倒ではないのか?

そこのところ、どう解釈すればいいのか、アドラー心理学的的な解釈と”死テラシーブログ”的な解釈を交えて、植物人間の価値について考えてみましょう。

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