誰だって余命○○ヶ月なんですけどね…余命宣告とACP

尊厳死 安楽死

厳しい現状を受け容れないで得する事とは?

突然ですが、自分が死ぬ事、家族が死ぬ事を想像する事は恐いし辛いですよね?

死=怖い、不安、

なので、見て見ぬふりをしたり、臭いモノには蓋をする、面倒な事は後回しにする…

そのような感情は少なからず働くことでしょう。

では、今までの人生を振り返ってみて、見て見ぬふりや、後回しにしたことは大小含めてあるはずです。

その後どうなりましたか?

そのままスルーして問題は風化して無くなりましたか?

きっと問題はより大きくなって自分自身にブーメランのように返ってくるパターンが多いと思います。また、自分は忘れ去っていても相手はずっと覚えている事もあるのではないでしょうか?

もっとわかりやすく言うと、嘘はどうでしょうか?

よくある話になりますが、一度嘘をつくと嘘を正当化するためにまた嘘をつくことになります。

嘘の上塗りです。

真実を語らないという事はそのまま嘘をつくことが延々と繰り返されることになります。

大切な人が弱くなり苦しんでいる、そこに嘘をつくという事はどういう訳でしょうか?

嘘が本人にバレても、嘘をつき通して本人が死んでしまってたとしても

誰が得をするのでしょうか?

本人と遺族の悲しみが増幅するだけです。

死や病はとても辛く逃げたい、避けたいものですよね、受け入れられない事は容易に想像できます。

しかし、辛い事から逃げていては何も物事は進んで行かないし、むしろ悪化してしまいます。

それは自分自身の今までの人生を振り返ればわかります。

死を宣告する事、しない事、それぞれ優しさに溢れていますが、真実を語らない、受け入れない事は人生最期のピリオドを認識しない別れになる可能性があります。

そして、残り少ない貴重な時間を無駄にしてしまうのです。

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