自殺の多い町と少ない町 徳島県A町と旧海部町 その②

自殺

歴史とマインド

旧海部町は歴史的に見ても地域外からの人間が一攫千金を求めて流入してきていますので、ほとんどの方が旧海部町を選んでやって来たようです。

しかもかなり前向きな考え方でやってきていますし、次男坊が多かったということなので、長男のように家を継ぐことも無い自由でお気楽な人たちだったということが想像できます。

それに対してA町はどうでしょう、きっとA町を選んで好んでやって来たという人間を調べるにはかなりの昔に遡るのではないでしょうか。特別な産業もなく街道沿いでもない町になんでまた人は住み着いたのか?

この本(自殺会議 著・末井昭)ではA町の歴史にはあまり触れてはいませんのでここからは憶測になりますので参考までに。そもそも某A町なので具体的な歴史は載っていませんので私の憶測になります。

参考程度に聞いてください。

気候の厳しい山間部にある小さな集落の歴史には平家の落人伝説、敗戦やクーデターから命からがら逃げ伸びた武士階級の人間が政権奪還のために誰にも見つからないようにひっそりと暮らし、再起を図るといったような歴史がある集落は数多くあると思われます。

日本の山間部や人が住みずらい土地の小さな集落には、このような言い伝えが残っているといったような話です。

ましてや、武士階級の血筋であれば、切腹という考えが根付いているという妄想もしてしまいます。いざとなればいつでも自害できるというマインドを持ち合わせていると考えてしまいます。

あくまでも妄想ですよ。

争乱から命からがら逃げ伸びて来た人種と、一攫千金を狙ってやっきた自由気ままな次男坊気質の人種。どちらが自殺が多くて少ないかなどは一目瞭然だと思います。

そうだとしたら、自殺が多い地域とそうでない地域、住みたいのだどっち?となればほとんどの人は旧海部町なのではないでしょうか?

地域というよりは、選択肢があって希望に満ち溢れてやって来た人たちと、やっとの思いで逃げのびてたどり着いた人々。

マインドの問題にもよるのも一つの理由だと思います。

歴史的に見ても、好き好んでA町に引っ越してくる、好き好んでA町に嫁いでくるなんて人はあまりいなかったのではないでしょうか?

そもそも、切り立った渓谷山間部付近に人が住み着くようなことはないように感じます。

現在は道路が整備されているので、車でカンタンに都市部と山間部を行き来できますし、何よりネット社会ですので、買い物も仕事もネットで完結します。

そのためA町のような山間部にも地方移住者がやってくるといったこともあるでしょうし、会社を立ち上げたり、お店を構える人もいると思います。

紅葉の名所なんてことも書いてありましたので、渓谷の紅葉なんてロケーションが最高だと思いますので、今を生きる現代人は定住するには良い選択だと思います。

また、自分の産まれ故郷に帰ってくる人もいるということです。

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