天国は実在します、神経細胞の中にあります!

宗教

断言!神様はあなたです!

子供が言う事を聞かない時に、お行儀が悪い時に、隠れて悪い事をしていると神様は見ている、お天道様は見ている、なんて言いますけども本当に見ているかどうかはわかりません。

神様はどこにいるかもわかりません、神様を見たことはありません。

そこのところは子供もわかっているでしょう。

人間による監視、自動車のスピード違反や、脱税による監視などはありますが、神様はそのような優しい事はしてくれません。

悪事の積み重ねを突っついて、最後には地獄へ突き落す算段ができているのでしょう。

神様が本当にいるのならば、人間が悪事を働いたのならその場で罰してくれて、悪事をその場で清算した方が効率が良い気もするのになぁ~なんて思ってしまいます。

しかし、そんな善行悪行を働いている姿を一生涯見ているヤツが、実はいるのです!

確実にいます!

目で見て触って確認できます!

一番近いところにいますよっ!

それはあなた自身です!!

当たり前かもしれませんが自分自身の行動は自分が一番よく知っています。

臨死体験者などの証言によると、幸福感を感じたという人は多いようです。

詳しくは次の項で述べます。

死の瞬間に天国のような景色が見えるかどうかは、今までの自分自身の人生の質をどのように判断したかによって変わってくるのではないだろうか。

死の瞬間に地獄の画が見える場合は、今までの人生に後ろめたい気持ちや後悔の念、恨み嫉み、妬み、不安、心配…

そのような気持ちでいると、仏教でいうところの畜生道、餓鬼道、地獄道の画が見えるかもしれません。

そのまま死へ向かうと、地獄の世界を見たまま最期を迎えるかもしれません。

ここでは、それが地獄行という解釈をします。

逆に人生楽しんだ、やり切った、想いの残す事はなにも無い、安心して逝ける安堵の気持ちでいると、穏やかな温かい明るい天国のような死への入り口が待っているかもしれません。

それは、天国行ですね。

私個人的な事ですが、死後の世界には関心が全くありません。

今が全てであり死後は何もなくてもいいのです。

不安や心配もありません。そもそも興味がありません。

しかし、死の瞬間に見える

「景色」

にはこだわりたいという思いは強くあります。

死の瞬間に見える景色は天国的な景色か地獄的な景色、どちらがいいですか?

そんなの決まってますよね、天国のような景色が良いに決まってます。

天国か地獄、どちらの画を見るかどうかは、あなた自身にかかっています。

そこにあるのは、最期の審判でもなければ、エンマ大王様でもありません。

自分自身の頭の中、

「想い」

が全てです。

自分の進路は自分で決めるのです。

だから、

あなたが神で、

天国は導かれる場所では無くて、

死に際に見えるモノなのです。

という解釈をしてみました。

次は、どうして天国が見えるのかという部分を科学的に見て生きましょう。

コメント

  1. Left より:

    いつもお世話さまです。
    この記事も動画で配信しました。

    https://youtu.be/gi9y1eQPols

  2. Left より:

    ところで、私のコメントのアイコンが表示されるにはどうしたらよいですか?

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