天国や地獄はありません?

おしえ

皆さんこんにちは、糞の役にも立たないブログ ”死テラシーブログ”へようこそ

間違って来た方も、迷って来た方も、あなた様に会えてとてもうれしくおもいます。

今回は天国と地獄を圧倒的な個人的解釈でつづってみようと思います。

一人でも賛同していただけて、勇気づけられることができたらサイコーです。無理かもしれませんが…

注・宗教を否定するような意図はまったくありません、どの宗教でも死後の世界観はとても重要な部分なのでそれぞれの考え方を尊重いたします。また、勉強させていただいております。

皆の思い描くような天国・地獄では無い!

天国や地獄といった様なものは死ぬ瞬間に脳の突発的な活性化によって可視化されたものだと思います。

エンマ大王様とか、最後の審判という類のものもなく、自分を裁くのは自分だということなのではないかなんてことを考えていきます。

病気や事故で臨死体験の体験談として天国と地獄の事を語る人もいるかと思います。もともと先入観としてある天国と地獄のイメージを踏襲しているものと思われます。

例えば、生後3か月の赤ちゃんが不幸にも亡くなる時、鬼とか三途の川とかエンマ大王様とか見ることは無いとおもいますがどうでしょうか?

見えているかもしてませんが(;’∀’)

臨死体験をした方々が、天国とか地獄とかを語ることは死の瞬間に自分の人生を振り返り、どのように感じたかによって変化するのではないでしょうか?

天国と地獄という画は先入観によるもなんじゃないかな~。

ということで、天国と地獄は死ぬ瞬間に見える一瞬の光景なのではないか?

と考えます。

自分が自分を裁く

今まで生きてきた自分、自分を一番よく知っているのは自分だけ、そんな日々の行いを誰が評価できますか?自分とは別のあるナニモノかに天国と地獄にふるい分けられるなんて不条理は死ぬ時までも耐えなくてはならないのでしょうか?

金持ちでも地位が高い人でも、貧乏でも、日々の行いが善かったのか悪かったのか客観的に知っているのは自分だけ、その死ぬ瞬間一瞬だけ見える天国と地獄があったのならそれは人生の鏡であって誰かに左右されるものではないことと思います。

生前悪いことをしたこと、善いことをしたことを一番理解しているのは自分だからです。

例えば、宗教的に神様はいつも見ていますよ、おてんとうさまはいつもあなたを見ていますよ。なんて言い聞かせて、普段の生活を律してしっかり生きましょうなんて教えたりするでしょう。

ここでいう神様、おてんとうさまというのは、自分の事と解釈してみましょう。悪いことをして財を成した人がいるとして、どんな悪人でも心のどこかで後ろめたい気持ちは持ち合わせていると思います。

生きているうちは後ろめたい気持ちは心の片隅に追いやられ、目先の欲に目を奪われる、生きているうちはそれでよいかもしれないが、死の直前や死ぬ瞬間はどうだろう?きっと後悔の念は少なからずあるのではないでしょうか?

悪人も最期の最期まで悪人ではなく本当の最期はピュアな思考になり自分の人生を後悔するはずです。

するものと願いたいです。

脳科学の事はまだまだ勉強中ですので、詳しくはわかりませんが、事故や怪我をする瞬間と似ているのではないでしょうか。

一瞬が長く感じるアレです。

走馬灯なんて言い方もあるのかな?

どんな人生でも悔いが無く自信をもって生き抜いたと感じている人は死ぬ瞬間は達成感や充実感をもっているので死ぬことへ漠然と明るいイメージを持っていることと思います。

明るいイメージは脳裏にある暖かいもの・ゆったりしているもの・やわらかいものといったように天国のイメージを呼び起こしているでしょう。

しかし、後ろめたい気持ちを抱いている人の死ぬ瞬間は漠然と暗い、寒い、硬いイメージすなわち地獄をイメージするのではないでしょうか?

死ぬことは、後も先もない、全てがここで終わりなので、お金や時間といったすべての欲望は断たれます。

死ぬ瞬間、人生を振り返った場合明るいイメージ・暗いイメージを印象付けるのは日々の行いや、充実観なのではないでしょうか?

極悪なことをしていなくても、無気力でネガティブで充実感を感じられない人が死ぬ瞬間を迎えた場合も同じように暗いイメージになってしまうかもしれません。

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