皆を笑わせて死のう! ユーモアが遺族を救う 

前向き思考

最期の言葉は宝になる

最期の一言

映画やドラマのように最期の瞬間に放つことは現実的に難しでしょうが、遺族が印象に残る言葉や偶然の出来事に救われるという事はあるはずです。

スイスでの安楽死を追ったテレビ地上波のドキュメンタリー番組を見ていたら、印象的な場面がありました。

安楽死を決行することが決まり、当日近親者が手を握って見守る中、致死薬の入った点滴のバルブを自分自身で開けてゆっくり眠るように死んで行くという演出?になっています。

いざ、そのバルブを本人が開けて最期の言葉を皆で交わしてるときに、遠くの方で食器が床に落ちたのか、ガッシャーンと音がして皆一瞬 なんだ? と空気か止まり、本人が一言 「なんだかコメディーのようね、なんてことはないわ幸運を運んでくれる」と言って止まった空気が元に戻りその場の空気が一体感に包まれる感じがありました。

そこに笑いやユーモアがあったかどうかはわかりませんが、おばあちゃんの最期の印象としては皆食器が落ちる音がしてコメディーのようだと言ったおばあちゃんの一言に緊張が解けて救われた人はいるはずです。

おばあちゃんって肝心な時にいつもあんなことが起るよね~なんて思い出話もできるはずです。

これが、まじめ一辺倒でいままでありがとう、愛している、天国で待っていてね…涙涙となっていたら印象は少しもの悲しい雰囲気になり、喪失感は強めに残るのではないかと想像します。

もちろん、良い悪いを言っているのではなくて、その人らしく死に行く本人と残される遺族の一体感という意味では、ユーモアやちょっとした笑えるアクシデントがあった方が良い気がします。

死に行く側の人間とそれを見送る人間との溝を埋めるユーモア、生きているうちからユーモアのネタを仕込んでおいてもいいかと思います。

遺族のためにも…

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