楽しみとは対極な死?
みなさん死ぬ事は恐いですか?
恐いという方や、不安だからとか、別れが辛いとかいろいろありますよね。
しかし、そのような気持ちのまま思考停止して死が恐いまま生きていくと何かと不都合な事がおこります。
死ぬ事が恐いから怪しい新興宗教に騙されたり、高額な健康食品、怪しいサプリメントをサブスクリプションで大量購入したり…
健康や長寿を謳った詐欺のようなビジネスにハマってしまう事も十分考えられます。
医療にかかる事もある意味ビジネスにハマっているとも考えられますが…ここではスルーします…
とにかく、とりあえず、
生きる事は大正解で死ぬ事は不正解!
生きる事は楽しくて死ぬ事は辛い!
自然と上記のような思考にハマって思考停止し、その先を想像しようとはしなくなります。
だからとにかく、なにがなんでも健康的に永く生きるのだ!
なんでもいいから、生きていて欲しいのだ!
と一般的にはそうなります。
生きる事へのハードルが上がり、生きる事がプレッシャーに感じる人も多くいるでしょう。
生きる事が絶対条件、それ以外は許されないとなると息苦しくなりませんか?
安楽死の法律を認めようという考え方に似た部分もあります。
死という選択肢が一つ増えれば心のゆとりが多少なりともできる。
隙間というか遊びというか、死を前向きに考える時間稼ぎ的な可能性はあるのではないでしょうか?
それが正しい事なのか、間違いなのかそのような事はここでは問いません、それは自分で決めたらいいのです。
ここで問いたいのは、
死を楽しみに生きる事は可能か?
死を楽しみに感じる事ができるのならば、スーパーポジティブに生きる事ができるのではないでしょうか?
無敵の人(死刑や刑罰を望み凶悪な事件を起こす人)
の逆バージョンですね。
不合格だって、フラれたって、ブサイクだって、途方もない借金があったって、離婚したって、癌になったって…
死ぬのが人生最期の楽しみにとっておこうと考える事ができるのならば、辛くともなんとか生きてみようとなる、心のゆとりができるような可能性を秘めているように感じます。
死とお友達になることを心がけてみる、
こちらから死に近づいてみる、
そのような事ができるかどうか、死を楽しみに生きる思考の可能性について事を深堀してみたいと思います。