極限状態でいかに死ぬか? 我が子の首を二度絞め殺す話

歴史

葛根病事件と福田村事件

葛根病事件という歴史を知っていますか?

もちろん私は知りませんでした。

参考にさせていただいた記事は下記のものです。

「女性や子どもの悲鳴が響き、草原は血の海」ソ連軍が約1200人の日本人を襲撃、虐殺した「葛根廟事件」生存者が目撃した“光景” | 終戦、78年目の夏 | 文春オンライン
近年、驚くことが増えた。SNSで見かける、戦争や戦争をテーマにした作品への視線のことだ。野坂昭如原作・スタジオジブリ制作の映画『火垂るの墓』の捉え方には一瞬、呆然となった。 主人公の少年・清太を責め…

葛根病事件を超簡単に説明しますと、

先の戦争などと言われる、太平洋戦争・大東亜戦争が終焉を迎えるころ、旧満州国で起こった出来事になります。日本が戦争に負けた直後に、日ソ中立条約という条約を無視して、ソ連軍は満州、樺太などに侵攻しました。そのとき民間避難民に対して無差別的な攻撃を仕掛け、生き残った避難民たちが、ピストルや刀、縊死等により自害するといったような出来事です。

上記の文春オンラインの中身を見て、とても印象的だった出来事をご紹介します。

子供三人の母親は、五歳と乳児の自分の子供を手拭いで縊死させ、足に重傷を負った国民学校二年生の娘の首を絞めて殺してしまうという出来事です。

しかも、国民学校二年生の女の子は息を吹き返すのですが、再びお母さんが首を絞めて殺してしまうのでした。

 この様子の一部始終見ていた恵子ちゃんは自分も殺されると悟り「母ちゃん。あたいは死にたくないよ。死にたくないよ」

すでに足に重症を負い死の恐怖を味わった恵子ちゃんは、死を恐れ母に抵抗し泣き叫び哀願していた。でもおばさんは悲壮な表情で無理矢理絞め殺してしまった。

死にたくない執念からか20分位すると恵子ちゃんは息を吹き返し、またおばさんの所へ足を引きずりながら「母ちゃんあたい死にたくないよ」

おばさんはまたも恵子ちゃんを捕まえ首を絞める。恵子ちゃんは生きたい一心で母に頼めば今度は許して貰えると思ったのだろう。

「死にたくないよ」

「今死なないと死ぬときはないのよ。お母ちゃんもあとから行くから死ぬの!」

恵子ちゃんは泣き叫んで最後の土壇場まで暴れていたという。

引用・(『コルチン平原を血に染めて ―少年の目撃した葛根廟事件』大嶋宏生著 全国興安会通信社)

………

上記の出来事は、たまたま生き残った生存者の方が証言をしてくれたおかげで、どのような事が当時起こっていたのか記録されますが、記録されていない悲惨な出来事はこれ以上にたくさんあるはずです。

続いて

福田村事件

超カンタンに説明します。

大正12年、関東医大震災の現千葉県野田市付近(福田村)で起きた集団暴行事件です。当時大地震で各地混乱しているところに、朝鮮人が暴動を起こすなどといったようなデマが流れました。当時の福田村の自警団などが香川県からの行商人15名の言葉を、伊予の方言とも知らずに、朝鮮人と勘違いして妊婦子供を含む9名を200名ほどの自警団や群衆が群がって、虐殺したという事件です。

まったく言葉が出てきません…

お互いどのような心境なのか想像もできません…

自分が当事者(殺される側)だったらどうしようか?

などと想像してしまいます。

混乱、集団、心理状況、などが悪い方向へ向きが一致するとこのような惨状が起り得るのでしょうか?

福田村事件は今後起こり得る地震災害でも、各地で起こらないという確証はありません。

いざそのような事が起こったらどうするか?今から心の準備をしてもいいような気がします。

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