まとめ 死に対して心のダメージを減らせ!
長くなりましたので、まとめます。
人は、日本人は特に死を極端に嫌がります。嫌な事は見ないようにしていても死は必ずやってきます。
わかっているのにも関わらず死を直視しようとはしません。
だから死が目の前に現れた時に思考停止したり、死を受け止めきれなかったりして、遺された人間は精神状態が悪化するなんてことは考えられます。
特に突然死がそうです。
自身が死ぬ場合でも、遺される場合でも同じことです。
故人と最期の交わした言葉が何だったのかはっきり思い出せるように常日頃準備をしていれば、別れが突然やってきても別れのダメージは軽減されます。
子供が大きくなっても、最近仲があまり良くないパートナーにだって、わざわざ玄関までお迎えをする意味は、お互いが死ぬかもしれないからというメッセージにもなり得ます。
どちらも死ぬかもしれないという死というものを身近に置いておくことで、死の免疫力を無意識に高められます。
突然な家族の死に対して心のダメージを軽減することができる。
グリーフワークと言って遺族の死に対して大きな喪失感を徐々に取り除いていける心のプロセスが順調に進み、今までよりも強く生きる事ができるようになる。
故人の分まで強く生きる、故人を忘れないために生きる、今自分だけが生き残っている意味が見出せる。
個人差や状況にもよりますので、誰しもがこのようになるとは言い切れない部分もありますが、普段から死を意識する行動思考にはこのようなメリットがあります。
「行ってきます」
これは願いなのです、お互いが生きて再開しようねという願い、おまじないと解釈してもいいでしょう。
生きて再会したいという願いの半面、お互いに死を覚悟するという面もあります。
行ってらっしゃいをしたからといって、必ず帰ってくるとは限らないからです。
生の願いと死の覚悟
それらが両方含まれているのです。
ここでは死の合言葉として表現します。
生きている事は当たり前じゃないんだよ、死は身近にあるんだよというメッセージが双方で確認できれば、死に直面した人間の救いになる場合があります。
そして、つまらない日常がいつもとは違ったように感じる事もあるでしょう。
あの人は優しかったとか、頼りになったとか、ありがとうとか、死んでから何を言っても後の祭りなので、だったら生きているうちに思いを伝えておく方がよっぽどいいと思います。
毎日何気なく言っている
「行ってらっしゃい」
そんな言葉に、いつ訪れるかわからない死というものを取り入れて、双方向で確認し合う儀式を毎日行う事は、突然死に対する最大の防御策なのだと思います。
今回は”行ってらっしゃい”と死について考えてみました。
ちょっと大袈裟な行ってらっしゃい、試してみてはいかがでしょうか?
”死テラシーブログ”