まとめ・死にたい原因も理由も全てウソ!
動物は自殺をしないのに、ヒトはどうして自殺をするのか?
繁殖を選ばずに死を選ぶ行動はいったい何なのか?
それは、サピエンス全史に載っている
死にたい原因も理由もホモサピエンスが創り上げたウソなんです!
認知革命と想像上の秩序によるものだったという説を基に今回の結論とします。
ホモサピエンス以前のヒトたちは半分動物のような暮らし方で、地球上の各地に小規模な暮らしをしていました。
認知革命と呼ばれるものがホモサピエンスの頭の中で起こって、各個人が協力しあって大集団をつくり、ホモサピエンス以外のホモ○○達や警戒心の少ない動物たちは、ホモサピエンスに捕食されたり追いやられて地球上から絶滅します。
想像上の秩序、によってホモサピエンスは実体のない法律や通貨、階級や神話や宗教を発明し、社会秩序も出来上がる。
数万単位の大集団をまとめる事ができるようになる。
そして帝国や国家が完成する。
農業革命や化学革命、そして今に至る訳です。
今生きるのが辛く死にたい人は何人かはいると思いますが、その原因は全て虚構・ウソなんです。
死にたいという気持ちでさえ、虚構・ウソなんです。
自分自身で創り上げたストーリー。
死にたい理由としては、病気とお金がほとんどを占めるでしょう。
病気も虚構・ウソなのかと言えばウソではない現実のものなのですが、もっと生きたいとか孫の顔が見たいとか死ぬのがコワイというものが虚構・ウソなのです。
幸せや不幸せ、という考えも全て、
頭の中で自ら創造したストーリーなのです。
死にたいも虚構・ウソです。
「仕事をしないとお金が手に入らないから、嫌だけど会社に行かなくてはならない」
死にたい!
これには、虚構・ウソが4つあります。
仕事をしないとお金が手に入らないから、嫌だけど会社に行かなくてははならない。
仕事・お金・会社・行かなくてはならない
これらはヒトが創り上げた想像上の秩序、ストーリーなのです。
今、
自分たちが目にしている当たり前の社会秩序は全て虚構・ウソなのだと考える事ができるのならば、
狩猟採集民のように明日死ぬかもしれないから明日の事は考えないと思える事ができるのならば、
死にたい気持ちでさえ虚構・ウソなのだと考える事ができるのならば、
自ら死を選ぶ事がバカバカしくなるように思います。
ウソが原因でウソが決断する、ヒト特有のなんだか妙な自殺!
ヒトは認知革命を経て今に至りますが、認知革命ができたのだから認知革命思考を切断することだってできるはずなのです。
先の項の認知革命の説明であったように、
抽象的な思考:未来の計画や過去の出来事について考える力。
というものがあります。
未来の計画不安などは自殺思考の最たる例だと思います。
狩猟採集民のように、その日暮らしの生活で明日の事はわからない、わからないから考えないような思考でもいいのではないでしょうか?
会社が嫌だったらやめて何かのアルバイトをすればいいし、そこでもダメなら次の仕事を探せばいい。
タイミーのような時間給でその日食べる分だけ稼いでもいい、嫌なヤツがいても数時間だけなら我慢もできるでしょう。
住んでいる地域に仕事がなかったら仕事のある地域に引っ越しをしてもいいし、仕事をしながらも生活に困るようなことがあれば、セーフティーネットをフルに活用すればいい。
年金や健康保険の免除や家賃補助もあるでしょう。
現代版、狩猟採集民生活は可能な事ではないでしょうか?
失敗や未来への不安は自分の想像上のモノなので存在しないものと考えることで、目の前の事だけを処理して生きれば、狩猟採集民のようなその日暮らし的な思考になります。
明日の事はわからない、幸せという概念も無い、上下関係も無い、死とは生命活動が終わるだけの事…
それでいいではないか…
というわけで、
ヒトが自殺する理由も決断も全て、虚構・ウソなのでした。
虚構・ウソのために命を捨てるのがバカバカしく感じていただけたら幸いです。
”死テラシーブログ”