ヒトが自殺をする理由がわかった! サピエンス全史から学ぶ

歴史

社会のほとんどがウソ・偽りだ! 認知革命想像上の秩序

サピエンス全史の前半では(虚構)という言葉がたくさん出てきます。

虚構、それは人間が勝手に作り上げたストーリー、物語なのです。

普段私たちは何気なく生活していますが、それのほとんどが虚構(ウソ)です。

現代社会ではインターネットの発展やら、DXやら生成AIなどなど、目に見えないツールやサービス、仕事などに溢れています。

○○ポイントやらネットバンク、ネット証券、仮想通貨、ソシャゲ…なんてものはただのデータでしかないものなどは最たる例です。

データには姿形すらないのです。ヒトはそんなデータ達に振り回されます。

そんな社会なので現代社会のほとんどが虚構(ウソ)なのだという感覚は何となく想像できますが、実は7万年前の古代から虚構(ウソ)はあったという説になります。

動物と決定的な分かれ道のポイントとして、【認知革命】という出来事がホモサピエンスに起こりました。

 

●認知革命

「認知革命」は『サピエンス全史』でハラリが説明している重要な概念の一つです。これは約7万年前に始まった、人類の思考能力とコミュニケーション能力が劇的に向上した時期を指します。この革命により、人間は高度な言語を使って情報を共有し、複雑な社会的構造を築くことができるようになりました。

具体的には、認知革命により人類は次のような能力を獲得しました:

  • 抽象的な思考未来の計画過去の出来事について考える力。
  • 複雑な言語の使用:詳細な情報や概念を伝えるための高度なコミュニケーション手段。
  • 想像力の発展:神話や宗教、文化的規範など、現実には存在しない概念や信念を創り出す力。

これらの能力のおかげで、人間は大規模な協力を可能にし、大きな社会や組織を作ることができました。認知革命は、人類が他の動物と異なる進化を遂げ、地球上で支配的な種となる鍵となったのです。

By・copilot

未来の計画を意識することがなければ不安も無い、死を恐がることも無い、そこには自殺予防のヒントになる部分があるように感じます。

暮らしをもっと快適に便利にできるようにするために、個人ではできない大きな事をしたい。

たくさんの獲物を捕らえる事や、ライオンなどの猛獣類から確実に身を護る事、水飲み場の確保や薬草の群生地などなど少数人数ではできない事を皆で協力する。

少数人数ではできる事が限られているので、数百~数万単位の人間がお互い協力できる何かの大きな柱(ウソ)を創り上げて大きな一つの力を得るためのキッカケになったのが、

(認知革命)と呼ぶそうです。

 

続いて

●想像上の秩序

「想像上の秩序」は、ユヴァル・ノア・ハラリが『サピエンス全史』で提唱している概念です。これは、宗教、法律、経済システム、国家など、人間が作り出した概念やルールが、実際には物理的な形を持たないにもかかわらず、多くの人々によって信じられ、社会を形作っているという考え方です。

例えば、お金そのものはただの紙や金属でしかありませんが、それが価値を持つと信じているために、私たちはそれを通貨として使用します。同様に、国家や法律も物理的な実体はありませんが、多くの人々がそれを信じて守ることで、社会は秩序を保っています。

このように、想像上の秩序は人類の協力と発展において非常に重要な役割を果たしています。

by・copilot

想像上の秩序を数万人単位のヒトが共有できるからこそ、帝国とか国とか巨大な組織(社会)を形成できるようになる。

例えば、出会ったばかりの顔も名前も知らないヒトどうしが共通の宗教や通貨、文化を持っていれば、協力関係が長い年月をかけなくともすぐにでも成立するという事です。

現代風に言えば、初対面でも出身地が同じだったり、推しのアイドルが同じだったりすると親近感が湧いて、まったくの他人よりは話やすくなったり、頼みごとをしやすくなったりすることはあります。

”翔んで埼玉”という映画で、埼玉県民と千葉県民が争うような描写がありますが、それぞれの県民はそれぞれのすべての人民一人一人を認識していません。

埼玉県民・千葉県民という虚構・ウソを信じる事によって、ヒトは一つの大集団をつくることができるのです。

そこにはルールが必要です。

この世のほとんどが、法律やマナー・モラル、会社や学校、宗教、通貨などであふれています。

これらは手で持って指で刺して説明できるものではありません。

例えば、

学校が嫌いだと思っていて、嫌いなものを写真で撮ってきてと言われても、面倒な友達関係を写真で捉える事はできません。

キライな先生や友達を指さして嫌いだと言ってもそれはヒトであって、学校ではありません数兆個の細胞の塊です。

時間が過ぎて先生も生徒たちもそっくり入れ替わっても学校は存在します。

校舎はそのまま残りますがそれは学校ではありません、鉄筋コンクリートの大きな箱です。

学校と一言で言っても実は実態が無いものなのです。

このように考えるのが

【想像上の秩序】と呼ぶそうです。

学校や社会などは、実はヒトが創り上げた想像上の実体のないモノなのです。

だったら話は簡単、死にたいという気持ちも

全くの虚構・ウソだったんです。

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