どうもこんにちは
ブログの存続に関しては、やけくそ状態を通り過ぎ、穏やか~な感じで推移している
”死テラシーブログ”でございます。
今回は、認知症について考えてみます。
認知症のイメージって言うとどんな感じでしょう?
良いイメージを持っている人は少ないと思います。
私も以前はそうでした、嫌悪感を人よりも強く抱いていると思っています。
ボケるならその前に死にたい!
オムツを付けるなんて…これは絶対ムリッ!
場合によっては自〇も考えているくらいの嫌悪感しかない!
本当にそう思っていました。
しかし、実の父親の死を経験してからそんな意識に変化が現れました。
うちのケースでは認知症と病気による死が連携しており、同じ程度に病状が進行すると辛い期間は少なくて済むという場合があるということを学びました。
カンタンに言ってしまうと、積極的な延命的措置はしなかったという事になります。
認知症は程度にもよりますが、良い効果があるとされています。
死へと歩みを続ける事への、痛みや辛さ、不安を緩和させるために認知症があるんだ!という考えの人もいます。
そのような解釈をしてみれば、
本人は→
痛がらない、言葉も発さない、悲しまない、不安も語らない、まるで赤ちゃんのよう
家族は→
辛くなさそう、穏やかそう、死のその時までの時間がゆっくり流れる、心の準備ができる…
死までの時間がグラデーションのように生から死へゆっくり移行するため、死の線引きもあやふやになり、喪失感が緩和される事に繋がります。
これは私がそう感じた、たまたまうちの例がそうだったというもので、全ての例にあてはまることではありません。
また、認知症の程度によりケアをする側の負担が大きくなることも多くあります。
認知症のケアはとても大変な事なのは百も承知です。
しかし、一つの例とはいえ認知症ってこんないい事もあるんだー!
と唸ってしまったことは事実でした。
結論!
認知症は
死への不安や親族との別れの辛さ、
死の境界線がはっきりとはしないので、
遺される家族の喪失感を緩和するためにある
ゆっくりと怖がらずに死を迎える事は本人と家族にとってもよい事だと思います。