障害者と健常者 少数派はとても不安!

介護・福祉

みなさんこんにちは、相変わらずにブログ沼のどん底を浮遊中のブログ

”死テラシーブログ”

でございます。

今回は、雑記のような内容になります、障害を持つ方々の”生きづらさ”と普段あまり感じる事のないマイノリティというものを実感するというテーマになりますので、とても大切なテーマになりますが、この超弱小ブログでの発信力はほぼゼロなので、日記のような中身になります。

一人でも多くの方に見ていただきたいのですが、自分は無力なのでそこは諦めています。

諦め=あきらめしる=悟る 仏教ではそう考えるそうです

 

先日、とあるコミュニティーに参加してきました。

そのコミュニティは生きづらいと日々感じる方々が自由に意見を述べる事の出来る

”居場所” サードプレイス

をメインに独りで閉じこもるのではなくて、人との繋がりを持とう、という取り組みである、のんびりとしたお話会になります。

入退室自由で、誰でも参加できるという事も特徴的でしたので、勉強のつもりで参加してきました。

初めは9人から始まり、最大で13人になり最後は10人になるといった人数の増減なのですが、その場にいるほとんどの方が、

心や身体に障害を持っている方という事になります。

私には心身共に障害と呼べるものは無いので、

健常者

という位置づけになります。

ここでは自分が   少数派

ここの会場では自分がマイノリティになる訳です。

そこで思った事

結論です。

マイノリティ・少数派とは

物凄く心細い

そんな事を感じました。

余談になります。

マイノリティー(minority)を少し調べたら、少数派や少数者を指すようですが、マイナー(minor)という意味には、「社会的に重要ではない」「たいしたことがない」という意味も含まれているようです。

「社会的に重要ではない」「たいしたことがない」を直接受け止めると、これには嫌悪感しか湧きませんが、伸びしろが十分あり得る、可能性が秘められているという事も同時に言えるのではないかと解釈しました。

現状では、障害を持っている方々の可能性を十分に引き出すことができていない社会なのではないかと、感じることもできます。

コメント

  1. Left より:

    レフト臨床放射線技師です。

    小さいヘルプが実は大きなヘルプなんですよね。

    この度は「障害者と健常者、少数派はとても不安!」を動画にしました。このブログからの動画第一号です。よろしかったご視聴ください。
    https://youtu.be/9ru1kZh5SWE

    • なかなか nakanaka1146 より:

      本当にありがとうございます! レフト様様です! 神に見えます\(^_^)/

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