ロボットは仕事、人は時間
まとめます
これから先の時代はどのような時代になるのかはわかりません、昔は人間がやっていたような仕事が機械に置き変わり大量生産、生産速度も数段に上がりました。
そして、職を失った人もたくさんいます。
直近ではIT産業が台頭してきて、IT革命が起りましたがそんなIT産業も新たな機械(AI、DX)へとシフトしていくことになり、人の手は必要ではなくなります。
今は2022年末ですが、世界的大企業のアマゾンやメタ(ツイッターやフェイスブック)は社員を次々と解雇しています。
もはやIT産業でさえ、人手がいらなくなったのでしょう。今後やってくる時代に対応しようとているのだと思います。
そうしたら人間はどうするのでしょう?労働そのものが無くなりつつある中でどのような暮らしになるのでしょうか?
生産はロボットに任せて、人間は何をすればいいのでしょうか?
そんな未来を予想すると、今まで通りの普通の暮らしができる人はほんの極一部の人で、あとは貧しいながらも何かしらの支援を受けてなんとか生きている人の方が多数を占めている世界かもしれません。
しかし、歴史を振り返ってみても職を失ったからといって人口が急激に減るようなことはありません。
人口が急激に減るのは戦争と疫病です。
仕事が無い=死
ではないのです。
話題にあがっている、ベーシックインカムや生活保護というような支援が変化・進化して、何かしらの支援があり、飢えで死ぬことは無くなり、疾病や貧困で死にやすくなることはあるかもしれないが、無職が死に直結している訳ではない。
労働をしなくても、モノや金は無くても時間はある、ギリギリ生きていける。
病気になればなんの保証もないからカンタンに死ぬ事になる。
だとしたら、皆一律で不公平もなく同じような価値観で競争もなく何となく生きていけるような未来があるのではないかと思ってしまいます。
そうなると、今現在を死に急ぐことも無いのではないかと思うのです。
気持ちが乗っている時に、貧しいながらに、
イラストを描いたり、詩を綴ったり、歌を唄ったり、漫画を描いたり、畑を耕したり、散歩したり、家庭を築いたり…
それらを、ネットで発信していろいろな人とつながる、もちろん収入やお金の事は一切考えない、ボランティアでもない、やりたいからやっているだけ。
そこには、プレッシャーやストレスは一切無い!
貧しいけれど好きな事をやって、病気になって潔く死ぬ、という価値観では幸福度は高いのではないでしょうか。
未来は極貧だが
時間は腐るほどある
何をしようかなぁ~
今死んでしまったのなら、もったいないかもしれないというような事を妄想をしてみました。
”死テラシーブログ”
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