旅を終え、自殺したバイク乗り 達成死

自殺

達成死

達成死という造語を考えてみました。

例えばオリンピック選手が金メダルを獲得するために血を吐くような思いをして練習し、精神的にも追い詰められてもなお厳しい練習に耐えます。もうこのような思いは二度としたくない、金メダルを取ったら死んでやるっ!だからオリンピックまでは何が何でも頑張るんだっ!

そのエネルギーは計り知れないものがあると思います。最終的に金メダルを取るという目的、その後死ぬという目的なのですが、その地獄のような練習期間は辛くとも希望に満ち溢れている事でしょう。

死に向かっているのに明るく楽しく、頑張れる!

この心境は良い方向への(生きる)可能性があるのではないかと思います。

だから、死を悪者にするのではなくて、死にたい気持ちを利用しようという発想です。

私が勝手に考えた達成死とは、

何かを成し遂げるために命を懸ける、本当の命を懸けるのです。

成功や失敗は問題ではなく、全てを出しきり生き抜く。

そして、死…

目の前にニンジンをぶら下げるのではなくて、死をぶら下げてみたら思いがけない思考行動をするかもしれません。これは実際にそうしたら良いというものでは無くて、考え方の一つとして心の片隅に置いておくものとして認識していればいいと思います。

死を覚悟したからできる事があるし、死を覚悟しないとできないことがある、死という概念を持っている事で退屈な日々、辛い練習に耐えられることもあるような気もします。

達成した後の事は、どうなってしまうのかはわかりません、しかし何かを成し遂げた人間は周囲から見ればとても魅力的に映る事でしょう。

周囲の支持が形になって現れ始めた、結果を残すことができた、結果は残すことができなかったが全てを出し切った、そのように思えることができるのならば、死にたい気持ちは別の何かに変わっている事もあるでしょうし、

そのまま自殺してしまう事もあるでしょう

そんな、全てをやり遂げた死は否定できるものでは無く、尊いもののように感じます。

何かをやり遂げ、自殺した人間に対して、

生きていなければ何の意味もないよ、

と言えますか?

私は言えません

業績や生き様、とても立派でしたよと言ってあげたいです。

死がゴールとして用意されているからこそ頑張れることもあると思います。どんなに苦労を重ねても成功や勝利を自分で確実に掴むことはできませんが、死は自分で選ぶことができるという安堵感はありますよね。

死を意識して挑めば、逆境や挫折に対応できるかもしれません、プレッシャーのガス抜き剤にもなりますね。

また、達成死を決めてから行動をすると、すべてのモノが美しく見えて何もかもが素晴らしいと感じる事でしょう。

こんなにも空気がおいしい、風が優しい、名も知らぬ花が美しい、働く方々への感謝の気持ち…

達成死の考え方、良いと思うのですがどうでしょう?

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