最期は独り、最期は自分で
まとめます
生きて欲しいと言われても、その理由は具体的ではありませんし、解決にはなりません。
他人の願望を押し付けられてお終いです。
死にたいという理由は具体的でしかも切実です。
なんとか生きて欲しい、という他人の願いを聞き入れるほど余裕が無いのです。
話を聞いてもらう事で心が落ち着くことは実際あります。それで一挙解決なんてことはありません、ほとんどの方が一時的な心の落ち着きになると思います。
その後は、独りです。リアルに家族や友達がいたとしても死にたいという心の中は
独りです!
独りの時間の方が圧倒的に多いのです。そんな独りの時間をどのように過ごすのかは
自分にかかっています。
そんな独り時間と、
対決するのか、逃げるのか、共に歩むのか、諦めるのか、友達になるのか…
自分にかかっています。
独り時間をなにも考えずにズルズルと過ごしていては、なにも変化は起こりません。
変化を起こす気力も無い事とは思いますが、きっと心の片隅には、
このままではいけない!
という、生きる方向性の考えが多少なりとも残っているはずです。
いま、生きている事自体がそれを証明しています。
「死んではいけません、辛くとも生きましょう」
(私、個人的にはこの言葉は好きではないのですが)
一度、立ち止まってみる事は必要なのではないでしょうか?
立ち止まる事には意味があるように感じてしまいます。
「辛くとも生きましょう」
軽薄な言葉ですが、可能性を秘めているように思います。
みなさんも、「生きる」という言葉、自分なりに考えてみるのもいいのかもしれません、
生きろとは言いません。
”死テラシーブログ”
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