まとめ
長くなりました、そろそろ終わりにします。
鉄道人身事故、最近(現在2023)本当に多いような気がします。
自殺をすると誰かに迷惑をかけるとか、賠償金がどうのこうのとかいろいろありますが、鉄道で自殺を図る事実は昔からあります。
安楽死さえあれば、人身事故も少なくなるという考えをする方もいます。また、それを望んでいる方もいる事でしょう。
鉄道員目線から見た場合、人身事故(自殺)とは、
なんだよぉ~めんどくせぇ~なぁ~!
寝る時間が少なくなるじゃね~かよ~!
飯が食え無ぇじゃん!
です。
列車へ飛び込む本人や遺族の事など微塵も感じていません。
それはきっとみなさんも同じでしょう。
家に帰る時間が遅くなる、試験に間に合わなくなる、初デートが延期になった、社運を賭けた大事な商談に遅刻することになった…
全て自分事に考えます。
それは至極当然な事で突っつくところではありません。
悪いのはゼンブ電車に飛び込んだヤツ!
という事にしておけば、気持ちはすっぽり収まります。
それはそれでまあ人それぞれでいいのですが、そこから先をちょっと考えてみてもらいたいのです。
カンタンに言うと
明日は我が身なのです
人身事故の影響を受けた場合、なんだよ~ってなりますが、きっとそれは安全圏から見た場合の気持ちであって、当事者目線では無いのですよね。
かわいそうだとか、気の毒だと思っていても結局のところ、自分が安全圏にいるからそう思います。
紛争地帯や難民のニュースを見ている感覚と同じです。
心身共にギリギリの危険な状況だったら、鉄道人身事故で亡くなった方に共感することでしょう。
その両者には境界線はありません、事故の当事者には誰しもがなり得ます。
たまたま、何となく死にたい気持ちが薄く生きているだけです。
本当に、今生きているのは
たまたまです。
ただの偶然です。
もっとさかのぼって言ってしまえば、原始のスープからの生命誕生がそもそも超絶偶然なのです。
そんな偶然が何億年も積み重なって繋がった命が、たかだか150年ほどの歴史しかない鉄道車両に踏みつぶされることを想像してみたらどうでしょうか?
最近はホーム柵が付いて簡単には電車で自殺をすることが難しくなってきていますが、それでもホーム柵を乗り越えて電車に飛び込む人もいます。
鉄道人身事故が減ったとしても、自殺自体は減りません、何か別の方法で命を絶つだけです。
鉄道人身事故(自殺)は無くなりませんし、自殺自体も無くなりません。
そんな私自身も条件がそろえば自殺も考えています。
その時は餓死を考えています。
鉄道人身事故を他人事と思うのは当然な事でしょうが、もしかしたら…自分事と考えてみたら少しは違った見方ができると思います。
生物は必ずに死にます。
だったらどんなふうに死のうかな?
このように、自分の最期を想像する事もある意味大切です。
絶対に言える事は、鉄道自殺はおススメしません。
”死テラシーブログ”