天国や地獄はありません?

おしえ

過程と結果どちらが大切?

個人的には死後の世界は無いと思っています。

天国や地獄が存在するのは石器時代から始まり古代、中世の宗教的な事のほかその時世の状況、権力や覇権争いなどによって考えが変化したり、都合よく解釈されたり…そして現在のイメージに繋がっているものと思います。

そのようなことは一切無視して自分を軸に自由に考えた天国観と地獄観を持つことは大切な事かと思います。

結局天国と地獄は死後の世界に存在することは無く、死ぬ瞬間ほんの一瞬に頭に浮かぶもので空間や温度、景色がそこに存在しているという概念では無いものと考えます。

生命活動が終了したと同時にすべてが  になる ただそれだけだと考えています。

例えば、夏休み最後の夜寝るときに今までの夏休みの思い出を振り返ったとします。部活動でつらい練習ばかり、嫌いな先輩や先生にどやされてばかり、練習試合にも出してもらえない、全く評価されていない、でも、自分を信じて諦めずに活動を続けていれば結果はどうあれ納得のいくような夏休みと思えるのではないでしょうか?

きっと明るいイメージの夢が見られることと思います。

一方、興味のない勉強を親に無理強いさせられて、親が喜ぶそのために勉強をし、試験を受けさせられ、毎日追われるようにつらい思いをして、成績が上がったとしても明るいイメージの夢は見ることはできないのではないでしょうか?

人は結果のみを大事にしますよね、それは大切な部分でもありますが、過程も大切ですよね。

全ての事に通じる部分ではありますが、結果と過程のバランスが一番大切でしょう。

特に過程を重要視することは人を成長させる可能性を秘めているのですよね。

結果のみを重要視したら結果オーライということで、そこで成長が一回止まる、そして再スタートをする作業が必要になります。

結果は自ずとついてくるとはよく言いますが、ホントにそのように思います。死ぬときは結果で死ぬまでは過程、だとしたらやっぱり結果より過程にウエイトを置いて生きていきたいですよね、過程の時間の方が圧倒的に長いのですから。

どんな人が天国に行くの?

問題

次のABCDのうち、天国に行けるのは誰でしょう?

A困っている人のために善い行いをする

B天国に行くために善い行いをする、

C天国に行くために仕方なく善い行いをする

D地獄に行ってもいいから自分勝手に生きる

この中で誰が天国に行けるのでしょうね、案外Dさんなんかが死ぬ瞬間には明るいイメージで死ねるような気もしますね。

明るいイメージで死ぬ事ができるなら普段どのよな生活をすればいいのかちょっと考えたら分かりますよね。

答え合わせは死ぬときに自分で確認しましょう

まとめ

充実感や達成感は生きているうちに実感として生活の中に溶け込むことができたらいいのですがなかなかそうはいきません。

しかし、気の持ちようや考え方に角度をつける事ができるような練習方法は必ずあると思います。

精神的な病気の方でしたら、独りで牛丼屋に行くとか、駅のホームまで行ってみるとか、人混みに3分間紛れてみるとか…たとえばね、

体が健康な方なら、駅までに行く道のりでごみを一つ拾って駅のゴミ箱に捨てることを一か月続けるとか…たとえばね、

な~んでもいいんですよ。充実感や達成感なんかはそこらへんに転がってます。

ちょっと前のニュースでイギリスの99歳のおじいさんが歩行器で庭100週という目標をたてて15億円の募金を集めたそうです。

な~んでもいいんですっ!なんでもいいから目標を持って少しでもいいから進み続けると充実感は得られます。

まさにこのブログがそうです。結果は皆無に等しいですが、充実感が少しはあります。ほんの少しだけ…

物事はうまくいかないことだらけです。どのような不利にいる立場にいても浮き沈みは必ずあります、貧乏だからとか、病気だからとか、車イスだからとかではなくて、

その圧倒的に足りない資源で

どのように生きたのか、

どのように考えたのか、

が重要なのだと思います。

死は突然やってきます、普段から死ぬことを覚悟していざその一瞬がきたら、そこで振り返った人生は明るいのか暗いのかどちらでしょう、ぜひ明るいイメージで死にたいですよね。

結局のところ、最期の画を見るのは自分です、どのような生き方をするのかも自分です。

天国と地獄どちらの画を見たいですか?

 

お疲れさまでした、今回はここまでです。

こんなところまで見てくださって感謝しかありません。

あなたに良い死が訪れますように祈っております。

”死テラシーブログ”

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