死はエンターテイメント
どんな人にも平等にやってくる
”死”
ほとんどの人は死は暗くて、怖くて、悲しいものだという認識をしている事でしょう。しかし、一九の示した通りエンターテイメントな葬儀、死に方なんてこともあるのですね。
死・葬儀=エンターテイメントにするなんて一九ならではですね。人を喜ばせることに尽力して、作家活動が波に乗り、大金持ちになったことでしょう。
もちろん苦労はあったはずです、苦労を乗り越え大成功を収めてもなお、死ぬまで、また死んだ後でも自分も周囲もファンも楽しませようとする姿勢からは学びが多いです。
本人から言わせれば、
てめぇなんか皆の手本になんぞなりゃしないぜっ!
なんて、啖呵を切られそうですが、何事にも学びはあります。
現代人は何かと遊び心や余裕が足りませんね、成果主義だったり成績重視での線引きでその人の人生や人間を決めつけてしまう、そんな世の中です。
これは、個人ではどうしようもない現実ですが、気の持ちようではどうすることもできます。
生きづらく感じることも多々あるでしょう、
死にたくなることも多々あることでしょう、
ふと、死が頭をよぎった時に
一九の死
を思い出してもらえたらと思います。
もちろん、あなたと(自分も含む)一九とは天と地ほどの差がありますので、比べるものではありませんが、自分の人生や命、死を前向きにエンターテイメント的に捉える想像をしてみるのもいいのではないでしょうか。
もちろん、一九がどうしてこのような人生を歩んできたのか、そのときどのように思っていたのかを想像して分析してみるのもいいと思います。
自分が死んだあと、残された遺族が思わず吹き出してしまうような遺書や最期のことばを常々考えて生きるなんて素敵な事だと思います。
そして、いちばん大切なのは自分の死をプロデュースする楽しみ、死んだ後の皆の顔を想像する楽しみ。そんな死のエンターテイメント思想を一九はやってのけたのだと思います。
死を楽しんでいる
究極的に言えば、これができたらサイコーの死に方ですね。
どんなに悲しく辛い死でも、最期くらいは笑ってやろうぜ~的な
物心ついた頃から本気で笑ったことねえけど、最期くらいは笑ってやろうぜ~て的な
フランクな死
エンタメな死
が存在してもいいのではないか、なんて考え方おもしろいと思います。
フランクな死を考えられることができたのなら、
心のゆとり
のような隙間が少しはできるのではないでしょうか。
十返舎一九の死や葬儀はそんなことを教えてくれました。
皆さんはどのように思うのでしょうか?
お疲れさまでした、こんなところまで読んでいただいてありがとうございました。
皆様に楽しい死が訪れますように願っております
”死テラシーブログ”
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