大東亜戦争・太平洋戦争 日本対主にアメリカ マリアナ・パラオ諸島の戦いとバンザイ突撃
1941年~1945年。今から80年位前、日本と連合国主にアメリカと戦争をしました。そのうち、マリアナ・パラオ諸島の戦いというところに焦点を当ててみたいと思います。
アメリカで新型爆撃機B29 という飛行機が開発されました。広島・長崎に原子爆弾を投下する際にも用いられた爆撃機です。この飛行機は航続距離が長く爆弾をたくさん積めることができます。
しかし、アメリカ領からではさすがに遠く日本本土に爆撃を加えることはできません。そこで、マリアナ・パラオ諸島を占領して飛行場を造れば、このB29 で日本本土を爆撃することができます。
日本側は本土爆撃を絶対に許す訳にはいきませんから、マリアナ・パラオ諸島を死守しなければなりません。しかし、島での長期の作戦には武器、弾薬、食料を補給しなければなりません。日本の補給作戦はことごとくアメリカ軍によって妨害されて、島への補給路は断たれてしまいます。
島での戦いにおいて銃器、火器、物資に勝るアメリカ軍に対して日本軍は為す術がなかったのでした。
バンザイ突撃…戦略的な意味合いは無きに等しいものでした。無降伏主義として有名な「生きて虜囚の辱めをうけず」というものがありまして、「捕虜になるくらいなら、誇り高く死ぬ」ということを教育されていました。
増援部隊も撤退も望めない日本軍の島の戦いの中で、日本軍がとった行動は、「天皇陛下バンザイ」と叫んでアメリカ軍の銃火器の中に飛び込むという自決のような最期の攻撃をしたのです。
大東亜戦争・太平洋戦争 マリアナ・パラオ諸島の戦いのまとめ
日本兵は敵方に捕まった時、降参はせずに自決せよと教育されていたので、マリアナ・パラオ諸島の戦いでは、退路を断たれた兵たちは捕虜として生き残るという選択肢はありませんでした。沖縄戦でもこのような悲劇は民間人も含めてあったそうです。
そのため誇り高き兵士たちは、天皇陛下のため、愛する家族のため、日本国民のためにという思いを込めてまともな装備も無しに、敵にぶつかって逝ったのでした。
「天皇陛下バンザイ」「ちくしょう」「バカヤロー」「おかあさーん」などと叫んで突撃したそうです。死を前提とした作戦などというものではなく、名誉の死を求めていたことと思います。
次に、兵士よ行け!兵士よ叫べ!兵士よ戦え!と叫んで突撃したエルビン団長と調査兵団へバトンタッチしたいと思います。
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