夢や希望が”死”そのものだとしたら?

自死

安楽死・尊厳死の法制化を待つ?

ここまで生きた、やることはほとんどできた、と思えれば自分のタイミングで生命活動を終えることは健全な自殺といえるように思う。

自殺はいけないんだという事こそがプレッシャーになって余計ネガティブな思考になってしまうことの方が多いのではないでしょうか。

安楽死や尊厳死の勉強はこれからなのであまり突っ込んだことはわからないのですが、自分のタイミングで死期を決めることの意味はこれからもっともっと議論されるようになればいいと思います。【他人任せは良くないのはわかっているよ(;’∀’)

多様化の時代なので、個々の意見を尊重して生きるも死ぬも自分で決められるような人になりたいと思います。送る側もしっかりと知識や教養を高めて、死を自分の軸で見つめるようにしたいです。

安楽死の制度とか尊厳死の制度とか、誰かに何かに自分の死を委ねるような考えをしない、政治や時代、政策のせいにしないで、今あるモノで今できる方法で

死を選ぶなら死へ、

生きるなら生きていく道を選べば良いでしょう。

生きるための情報収集をせよ!

では逆に生きることを誰かに手伝ってもらうこともある、なんてことも考えてみましょう。

今すぐできる現実的なカンタンなことで、ネットで支援団体や自治体や政府の支援事業を巧みに利用すること。これが意外に盲点で、気持ちが沈んでいる時には気づかない事があるので、困る前にネットで様々な情報をチェックしてみるくらいの事はしていただきたい。

困ったらすぐに死を連想するのはハッキリ言ってダメだと思う。もちろん精神的な疾患があれば難しいこともあるけれども、今の日本では何かしらのサポートはあるのでそれぐらいはしっかりチェックしておけばいいと思う。

例えば、生活保護の申請などは個人で行っても跳ね返されることもあるようなので、支援団体の協力を得る。支援事業が存在する事自体を知らないから一度役所に行ってダメだったからもう生活保護はダメだと思ってしまう。

借金、薬物、病気、生活苦、いじめ、DV、毒親…など様々なことに特化した

支援団体、支援事業

がある事を知っておきましょう

そしてちゃんと利用しましょう

結局、ベタな言い方をすると、人生はどう生きたかに尽きるなんて考え方をする人がいるけれども、最期の瞬間での人生観はあまり重要ではないって事ととらえることもできるよね。

どう生きたかを重要視するのであるならば、あっけない最期は自分で決めてもいいのではないでしょうか。

悔いは無いと思って自殺するのなら他人がとやかく言えることは無いのだと思う。

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