趣味はだれのもの?
普通の一日がどの程度価値があるのか、その判断は自分自身で判断しないとなりません。
偉いお坊さんとか、インフルエンサーのユーチューバーとかに、価値観を押し付けられても意味がないのです。もちろんこの記事にも言える事です。
当たり前に過ぎてゆく毎日。
そうです、この当たり前という生活こそが
当たり前では無いという事に気づいているか否かによって
人生観が大きく変わります。
生きている事が幸せ→仕事がある幸せ→ご飯を頂ける幸せ→お風呂に入れる幸せ→家族がいる幸せ→趣味ができる幸せ→高額で贅沢なあらゆる事が簡単にできる幸せ→お金に全く苦労しない幸せ…
どんどん、幸せのハードルが上がっていきます。
ハードルが上がれば上がるほどあたりまえの毎日の価値基準が下がってくるものだと思います。
普通の生活が当たり前では無くて、奇跡のようだと感じる事ができるのならば、ハードルはぐんぐん下がり、人生がより一層シンプルになり幸せを感じる事が多くなります。
今回のテーマでもある、暇つぶしのように行っていた趣味がとんでもなく贅沢に感じます。
生きているだけで、幸せを感じる人がいるのならば、趣味など必要とせずに人生を謳歌できる事でしょう。
人生にスパイスは必要ないからです。
趣味を必要とすることは人生にとってもちろん大事ですが、もったいない考えをしている人もいます。
しっかり働いて、自分の時間と金を使ってやっているんだから何をやってもいいだろうと考える方もいらっしゃるかと思います。
もちろんそうなのですが、
もったいないな~と思います。
趣味を持てること、趣味が楽しめる心身に恵まれている事、趣味ができる環境にいる事に感謝をすることが大切ですし、そもそも仕事や家族の理解があるから趣味ができます。
趣味ができる事は自分1人の努力のおかげなのだと思っていては、趣味を存分に楽しめていないのです。
趣味をさせていだいている、(感謝の気持ちを持って)
趣味ができるという事は
これ以上の幸せはないんじゃないでしょうか?
趣味ができる事はなんて贅沢で奇跡に近い事なのかという事をかみしめる事が出来たのならば、趣味がぐっと尊いものに感じられるはずです。
寝っ転がって、動画を見ていてもそれは、尊い時間なのです。
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