生命誕生の奇跡
ふだん何も気にせずのうのうと生きているのですが、今の自分が生き物とし生存していること自体はあり得ないほど奇跡的な事だという事は人は忘れます。
自分もそうです。
自分の生命を遡って行くと最終的には原始のスープと呼ばれる生命誕生(説)までたどりつきます。
原始のスープとは、地球が誕生してから6億年ほど経った、今から40億年ほど前の話になります。
地球上の大気にはさまざまな有機物や無機物が、雷の放電や紫外線、放射線などによってエネルギーが加えられ、雨水に交じって大きな水たまり(海)の中で融合や変化を繰り返して、奇跡的に単細胞生物が誕生したと考えられているそうです。
個人的に印象に残っている表現として、
25メートルプールに懐中時計すべての部品をプール内にばらまいて、プール内の水をぐるぐる何億年もかき混ぜて偶然にも懐中時計が組みあがった
それくらい奇跡的な事らしいです。
生命誕生はこれくらいの奇跡なのだそうです。
もっと言ってしまえば、地球誕生や宇宙誕生を語ってしまうと、きっととんでもない確率の数字になってしまうので、ここでは追及しませんが、とにかく今こうして生きている事は凄い事なのです。
ミミズやカエル、微生物の生命も同じことです。
こうしてみてみると、生命が誕生しえなかった方が、自然の事のように感じませんか?
生命誕生が起ったことの方が不自然で不安定で不可解で、なんだか気持ちの悪い事のようにすら感じます。
宇宙人やら霊魂やら未来人が礎になったのだ!
といったような都市伝説的な匂いも漂ってきます。
奇跡が奇跡を呼びそのまた奇跡でいまの自分が生きている。
なんて不安定なのだろうと感じてしまうのは自分だけではないと思います。
生きている事は超奇跡で不安定、死んで無になることは安定している原始のスープ以前のカタチと考えるのならば、
死=無
死んだ後の世界は、安定した場所のように感じます。
安定した元のカタチに帰るのだと考えるのが自然のような気がします。