祝・死はおめでたい? 故人と遺族

前向き思考

遺族だって門出です

死んだ人は旅立ちます、どこに行くのかは知りませんがどこかの違う世界へ行ってしまうという世界観が一般的でしょう。

しかし、新しい世界に突入するのは死者だけではありません。

残された遺族も新たなスタートを切るのです。

今まで存在していた人を失い、その人がいなくなった世界は新たなものですよね。喪失感は無くなりませんが、新しい世界、知らない世界に足を踏み入れること、それは門出と言っても過言ではないと思います。

門出では、

おめでとうですよね。

残された遺族たちは、死んだ人間を悼み悲しむことは十分にしてきました、これから何度も悲しみは訪れる事でしょう。

そんな時こそ、

おめでとう

故人が私達に、新しい世界にチャレンジする機会を与えてくれたことに

ありがとう

なんて思える事ができるのならば心も気持ちも少しは楽になり、人生が豊かに感じるのではないでしょうか?

故人は知らないどこかへ旅立ちました、では残った自分達はどうでしょう?

自分も故人と同様、新たな旅路に出掛けるところなのです。

気持ちを引き締めて、それぞれ違う道だけれども、故人と共にスタート地点に立ち、同時に旅に出かける。

そっちの具合はどうだいっ?

こっちの方は順調だぜっ!

そんな気持ちで毎日を過ごすことができるのならば、故人もきっと安心できる事でしょう。

残された人々にとっても新たなステージに立つ、新たな自分に出会う旅に出かけるという意味でも

”おめでとう”

という願いを込めてもいいのではないでしょうか?

 

いつか故人と巡り合えるはず

そうは言っても、死をおめでとうだなんてフツーの人は考えられませんよね。

このブログは日の目を浴びる事はないので、バカな筆者が好き勝手な事を書いていると思われるかもしれませんが、

実際その通りなのです。

好き勝手な事を書いて、どこかの誰かの気持ちが少しでも楽になっていただけたのならばそれだけでこの記事の存在意義があったと言えます。

考え方の角度をほんの少し変える事ができるのか、又はできないのか、によって今後の人生が大きく変わる事があります。

大切な人を失い、気持ちが落ち込んで後追い自殺を決行して失敗し、後遺症を負って心身ともに一生不自由に暮らす。

そんなことも考えられますよね。

故人はそのような事は絶対に望んではいません。

死をおめでとうと考え祝福する事ができるのならば、故人と同じスタート地点に立っているのだと感じる事ができるのならば、今後の生き方には力強さが増して以前よりももっと強く優しい人になれるという可能性を秘めています。

故人もどこかの新たな世界で歩みを続けているのならば、こっちも負けていられませんよ

ね。

歩みを続けていれば、いずれどこかで再会することができるかもしれません。

歩みを止めてしまえば、再会することはありません。

 

だから、スタート地点が大事なのです、

死を起点に

おめでとう

と新たな旅路へ出発できたら良いのではないかなと思いました。

”死テラシーブログ”

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