極限状態でいかに死ぬか? 我が子の首を二度絞め殺す話

歴史

みなさんこんにちは、死に場所を求めてさまよい歩く

”死テラシーブログ” でございます。

今回は、生きる事が絶望的な状況で生き延びるという方向性で行動し続けることができるのか、全てをあきらめて自分の信念をつら抜き通して、家族を殺し自分も死ぬ道を選ぶのか、究極の選択をしなくてはならない状況を想像してみたいと思います。

どうしてこのような事を思いついたのかと言いますと、たまたまネットニュースで葛根病事件と福田村事件という過去の痛ましい歴史を目にする機会があったので綴ってみました。

戦争での敵兵や自国民による集団暴徒のリンチ殺人などに遭遇した場合、自分ならどうしたらいいのかを想像してみたいと思います。

死についていろいろな本を読んで、アウトプットもしてきましたけど、今回のテーマも難しいですね。

戦争やデマによる暴行で、強制的に理不尽に死がやって来るわけです、自分ではどうすることもできません。

やはり自決するしかないのかもしれませんが、それ以外の方法を考えてみたいと思います。

結論!

戦争やリンチ事件は今後日本でも起こり得る事を認識する

殺人、強盗、強姦、略奪、リンチ、飢え、疫病、自殺…

自動的に死が訪れるその時まで、生きる事をあきらめないで

とりあえず生きてみる!

という事になります。

そんな内容です。

そんな痛ましい出来事が起こらないような社会を皆で創り上げる事がもっともっと大事ではないかという至極まっとうな意見はありますが、このブログは頭がイカレているのでそこのところはスルーします。

より良い社会を築き上げる事は、自分独りだけでは解決できないからです。

極限状態になった時には、健全な社会は機能していない場合が多いのです。

相も変わらずに、変な事を考えていますが、今後の日本でも過去の忌まわしい出来事は起こるかもしれないので、今から心の準備をしておきましょう。

次の項では、玉砕死や餓死よりも悲しい出来事が過去にあったという事に触れてみたいと思います。

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