行ってきますは あたりまえじゃない?
ここからは、家族の話を中心に参ります。
行ってきますという言葉、意味って分かります?
行って参ります 行って来ます
という言葉には、往って参る 往って来る
要するに行ったら必ず帰ってきます、という双方の
「願い」
なのです。
願いってところがポイントです。
昔から火打石なんて文化も日本にはあります。
家から外へ出かける人に無事に帰って来られるように、災難に遭わないように、幸運なことが訪れますようにと、
願うのです。
願うという事は、当然ながら出かけた人が無事に帰ってくることは不確かな事だという認識が前提としてあります。
昔は生活の中に死がありました。
昔と言っても何時代なの?に対しては、ここでは過去は全て昔という事にします。科学技術やテクノロジーの進歩により、有事以外の平時の場合は一秒前より今の方が人の死は疎遠になっているのは事実だからです。医療技術での新薬や治療法、衛生面、治安などが秒で進歩しているからです。
今はというとどうでしょうか、科学技術やテクノロジーの発展により医療、衛生、治安は盤石になりつつあって、人はなかなか死ににくくなっています。
死ににくくなっているということは、
行ってきますがあたりまえになっているという事です。
家族が出かけて帰ってくることは当たり前、現代はそんな時代なのです。
縄文、弥生時代は野生動物や毒のある植物昆虫などで命を落としたり、鎌倉室町時代などでは争乱が各地で頻発して治安は悪化したり、江戸時代では結核などの疫病が流行り…
死が生活の中にあって、行ってきますがあたりまえではなかったのですが、今の日本では行ってきますがあたりまえになっています。
行ったらほぼほぼ帰ってくるので、そこには特別な願いもほぼほぼ無くなります。
願いがなくなると気持ちもさほど、なくなります。
なんとな~くの「行ってらっしゃい」になります。
なんとな~くの行ってらっしゃいで送り出した子供が、交通事故に遭い帰らぬ人になってから初めて事の重大さに気付くのです。
確率としてはとても低い確率になりますが、事件や事故で死ぬ人がいる事は事実です。
災害で死ぬ事も十分考えられますし、死ぬのは自分かもしれません。
現代の日本で家から出かけた人間が死んで帰ってくることは少ないかもしれませんが、現実にはあります。
行ってきますがあたりまえになりすぎて、生のありがたみをあまり感じられない事は少なからずあるでしょう。
家を出た人が帰ってくる願いは大切にした方が後々役に立ちます。
次の項では行ってきますがどうして役に立つのか綴ってまいります。