「行ってきまぁ~す」は、死の合言葉!

突然死

みなさんこんにちは、

遭難しっぱなしのブログ

”死テラシーブログ”でございます。

今回は、

毎日死を身近に感じる事ができる、家族間での

【死の合言葉】

にはこんなメリットがあるぞ~!

なんてことをご紹介します。

これまた、私自身の長ーい独り言なので、何の益もございません…

このブログの訪問者はゼロに近いので、誰の視線も語彙力も文法も何も気にせずガシガシまいります。

そもそも、死の合言葉って何なの?

ここで言う死の合言葉とは、生活の中に死を身近に置いておくという事になります。(個人的な勝手な言い分です)

少し詳しく見てみましょう。

さて、みなさんには家族や友人、仕事の同僚やSNSで繋がった人はいると思います。

いないよ、という人もいるかと思いますがその方は今回の記事はここで離脱することをお勧めします。

リアルでもバーチャルでも、誰かしら何かしら人との接触はあると思います。

一緒に住んでいる家族、学校の友達や先生、職場の同僚や上司、自営業やサービス業の方でしたら、お客さんやお得意様、クライアント…

普段生活していると、人間同士の接触は対面であろうと、リモートであろうと必ずあります。

接触があるという事は、接触が切り離される瞬間のお別れがあります。

この、お別れに注目していきましょう。

一瞬のお別れの言葉として

行ってきます じゃあね またね 気を付けてね 今後ともよろしくお願い致します またのご利用をお待ちしております…と

様々ですが、どれも共通している部分は

どれも、再会を願っているということです。

商売的な事も含めて全てです。

これは誰にでもわかる簡単な事ですが、わかってはいるけど真剣に理解していない人が多いように感じられます。

そうです、再会は確実では無いのです!

これもわかっているよという方もいらっしゃるでしょう、しかし

マジで死んだら会えないよ…

マジで死ぬかもしれないよ…

死ぬのは自分かもしれないよ…

何気ない日々の生活の中で、毎回真剣に死ぬかもしれないなんてあまり考えられないよね~!

って人は要注意です!

死にますよ、

簡単に人は死にます! 巨大地震も今すぐにでも来ますよ! 交通事後に遭うのも遭わないのもただの偶然です。

生きている事も、死んでしまう事も

ただの運

という事なのです。

結論になります。

別れのあいさつは意識を持ってすることで、最期の言葉として毎日意識し更新しておくことにより、死が目の前に訪れた時ある程度冷静でいられる                                          再会を願うあいさつは、お互いが死を覚悟する合言葉という認識を持つことです。                                    自分が死んでも、相手が死んでも                 後悔や無念を最小限に抑える魔法の言葉としての                                    メリットがあります。

それには毎日の簡単な積み重ねが必要になります。

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