まとめ
今回は高齢化社会と切腹や特攻を取り上げて、自己犠牲によってどこかの誰かが生き延びるというストーリーが好きな日本人。
切腹や特攻の歴史がある日本では自己犠牲の死は美化されて、語り継がれることもあります。
自分から命を終える事は、日本人の美意識による部分もある事と思いますので、脈々と受け継がれて来た文化のようにも感じます。
そして、神格化されて祀られるなんてこともあるかもしれません。
今回のテーマでは、老人は次世代のために早めに死んでくれ!
そのような思いではありません。
人それぞれの人生観で、生をめいいっぱい堪能していただけたら良いと思います。
それを踏まえたうえで、日本の歴史を顧みた場合、先人たちは混迷した時代に自分のいのちをどのように捧げたのか、誰に捧げたのか?どのような思いだったのかを想像してみる事は大切な事では無いでしょうか?
高齢化による、お金や人手とは違った目線で、穀物やエネルギーなどの地球環境問題からの視点で自分の命、十分生きてきたいのち、病に侵された
命の使い道、命の終わらせ方、
想像してみる事は大切な事ではないでしょうか?
誰かのために死ぬ事などはなかなかできませんが、生物的にも死を迎える段階になった時が来たのならば、それを受け入れて命を終わらせる。
それはお国のため、次世代のため、地球の環境のためになるモノだと考えます。
私は、先人たちのように信念を持って身を引くような人になりたいと思います。
この”いのち”をどのように使うか、どのように終わらせるかは自分自身にかかっています。
普段から命や死についての考えを持っていないと、命の終着点や人生の方向性を見誤ってしまう事にもなります。
誰か(第三者)のためにある
”いのち”
という考え方もあってもいいのではないでしょうか?
誰かのために捧げる”いのち”という考え方もあっていいのではないでしょうか?
じゅうぶんに生きて、歳をとったら次世代のために潔く死ぬ
という考え方もあってもいいのではないでしょうか?
”死テラシーブログ”
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本日この記事を動画にして配信しました。どうぞ観てください。
https://youtu.be/ZSTRmRN6UoE
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