悲しい歴史を糧に
古事記からの神話から始まり、古今和歌集にも堂々と歌われる。王朝時代から明治時代までも堕胎や殺児は庶民の身近にあったものでした。
堕胎や殺児の理由は、難産の苦しみや快楽目的、生活苦、奇形や迷信のために産まれたばかりの命が消えていったのです。国や役所からの援助もありましたが、下級層までは届かず明治期まで堕胎や殺児の風習は続いたのです。
このような歴史を勉強していくと、現代でも子殺しは普通に行われているように思えます。育児放棄、幼児虐待、乳児放置事件などのニュースはいまだに後を絶ちませんね。ここでは、問題点を議論することはしません。また、命の尊さを訴えかけることもないです。
いつの時代でも形は違えど、堕胎や殺児は横行しています。このような歴史をどのように考えるかは自分次第です。
明日からどのような考え方で生きていこうか、学校でのいじめがひどくなる、居場所がない、仕事が全くうまくいかない、親を殺したい、死にたい……あなたにとって命とは何なんでしょう?ちょっと立ち止まって考えてもらったら嬉しいです。
”死テラシーを高めよう”
参考文献…生きることと死ぬこと 大原健士郎
類聚名物考 辺策発蒙 胆大小心禄 盤城誌 子孫繁昌手引
道徳塗説 百姓嚢
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