死ぬために養生をする 戦国武将・松永久秀の死に方に学ぶ

歴史

しっかり生きぬく人はしっかり死にきる、その逆も然り!

まとめです。

時は乱世、戦国武将の松永久秀に死に方を見てきました。

そんな、戦国時代のしかも武将の死に方なんて、なんの参考にもならないよって人はいると思います。

自分もそう思います。

現代では家を武装集団に包囲される事も無いし、仕事上の交渉の場で相手に殺されることも無いし、上司から「失敗したのだから切腹処分だね」と命令される事もない平和な時代です。

だからこそ死に方が大切なのです。

極端に言うと、死に方というよりは

について考える事がとても大切なのです。

どうしてか?

現代では死と生の距離感がとっても遠いものになっているからです。

だからこそ死に方や死を意識した方がいいのです。

戦国時代や安土桃山時代もそうなのですが、昔は医療技術も進んでいなくて衛生状態も良くない、戦乱も続いているので全ての人が少なからず死を意識して毎日生きていた事でしょう。

死を意識しているからこそ、自動的に生きている事が尊く感じているのではないかと思うのです。

それは何分何秒の世界でも同じです。

松永久秀は中風(脳卒中)で身体が動かなくなるのを防ぐために自害の直前まで灸を据えていました。

現代人の場合は自分が死ぬ事はあまり想定して生きていませんので、いざ自分が死ぬ番になった時に迷いや葛藤が生じます。

そうこうしているうちに自分では制御できない運命はどんどん進んでいきます。

基本的に半強制的に生かされる方向に進んで行きます。

松永久秀は自分自身をコントロール下において自害をするまでのわずかな時間はとてもエネルギッシュに生きている時間だったと言えるはずです。

そこに迷いはないし葛藤も無い、むしろ安堵感や達成感を感じているようにも思えます。

死ぬために養生をした松永久秀の死に方から学ぶことは、

健康でないとしっかり死にきれない!

という事に尽きると思います。

人は誰しも死に向かって生きている、健康おたくのような生活をしながら生きている人もいる。

当時の養生とは誰よりも長く生きてやるという類のものでは無く、死ぬまでは健康的に生きようということだと思います。

現代で養生と言えば、健康志向やアンチエイジングとして死をなるべく遠ざけよう、遅らせようとしているように受け取りますが、本来は違います。

死ぬまでの時間は健康でいましょうよって事が本質なのです。

どのような死に方が待っているかわかりませんが、それまでは健康的に生きてその時が来たらすんなり死ぬという人生の方が豊かな人生だったと感じる事と思います。

松永久秀は豊かな人生だったはずだと思います。

”死テラシーブログ”

タイトルとURLをコピーしました