健常者と言われる違和感
普段何気なく生きていますが、マジョリティーやマイノリティーを意識したことがある方はどの程度いるのでしょうか?
マイノリティーを感じる時は、自分にハンディキャップを感じている部分があるという事が、一つの要素でもあるのではないでしょうか?
他人より劣っている部分が自分自身で認識してしまう事によって、より自分はマイノリティー、少数派だと感じてしまうのでしょう。
ほとんどの出来事に対応できて、卒なくこなしてしまうことができる人はマジョリティー、多数派なので、多数派はマイノリティーやマジョリティーを感じる事はしないでしょう。
それが普通だと思っているから、また、鈍感な部分もあることでしょう。
この項の書き出しで、「普段何気なく生きている」と書きましたが、
「普段何気なく生きている」と感じる事こそが、マジョリティー、多数派だとした場合、
そのような事では、マイノリティー、少数派の事は理解できないでしょう。
それが普通、問題なし、問題意識が無いので思考が停止するからですね。
今回は障害を持っている方々が多数の意見交換会でしたので、私の知ることができない普段の生活の大変さを知る事が出来ました。
そこで出て来た会話の中で、「健常者の人たちが…」というワードが出た時に、ドキッとしてしまいました。
普段の生活の中で自分は健常者なんだという事を意識した事が無かったからです。
これは私だけでは無いはずです。
街中を歩いていて、白状をついて歩いている方や、同行者に付き添われている方を見ていると、障害を持っている方なのだなと思うことがあります。
そのような光景を目にしても、いま自分は健常者なのだという意識は全くありません。
普段の生活の中で、自分の事が健常者という認識は無いところに、
「健常者の人たちが…」
というワードが突然やってくると、戸惑います。
この戸惑う違和感は、障害を持っている方々は常に感じて生活をしている事を想像してしまいました。
多数派には感じえない目に見えない圧力を、少数派は日々感じて生きていること、これは少数派になってみないとわからない事なのでしょう。
しかし、社会のどこかに、誰かに
生きづらさが発生している事は間違いのない事実でもあります。
もし、今の日本の時間軸を障害を持った方々に合ったものだったらどうでしょう?
次の項で、想像してみたいと思います。
コメント
レフト臨床放射線技師です。
小さいヘルプが実は大きなヘルプなんですよね。
この度は「障害者と健常者、少数派はとても不安!」を動画にしました。このブログからの動画第一号です。よろしかったご視聴ください。
https://youtu.be/9ru1kZh5SWE
本当にありがとうございます! レフト様様です! 神に見えます\(^_^)/