どうもこんにちは、誰も得することのないブログ
“死テラシーブログ”でございます。
今回は、事故現場や事件現場に花束をたむけに来る人の、心境を考えてみたいと思います。
個人的には、事件・事故現場に花束をたむける人って偽善者と決めつけていましたが、そうでもないのかもしれないと考えさせられることがありましたので、綴ってみたいと思います。
ツイッターの機能で、アンケート機能があります。
カンタンにアンケートができるのでやってみました。
一般人の死亡事故、死亡事件の現場に被害者の関係者でも知り合いでもない人々が花を手向けに大勢やってくるというのはどういうことなのか、自分には全く持って理解できないのです。
理解できないどころか、嫌な気分になります。
現場を見に来ただけの野次馬のように感じてしまいます。また、悲惨な事故現場にやってきて、自分は普通に生きているという安心感を得る為なのか?自分の優しさに浸るためなのか?
そんなふうに思ってしまいます。
現場に行かなくても自分の家で個人的に祈りを捧げればいいではないかと思ってしまうのです。
そして、その花束やお菓子や飲み物、誰が片付けると思っているんだ?もちろん数日後には自分が置いていったそれらを回収しに来るんだろうな~?
なんて思ってしまいます。
もし自分の家族が事故や事件に遭い死んでしまったのなら、顔も名前も知らない人が現場に大勢やって来て花を手向ける行為に好意が持てないからです。
何しに来たんだ、野次馬め!!
と心底不快に思う事でしょう。
そこで、ツイッターのアンケート機能で皆さんに聞いてみましたら、自分としては意外な結果になりました。
花を手向けに来る人は心優しい人達なのだという票が一番多かったのでした。
自分はかなり意地の悪い見方をしていたのだと改めて思い知らされましたし、純粋に物事をストレートに捉える人が多い事に感心してしまったのでした。
質問内容はこのような感じです。
花束 死亡事件・事故現場
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心優しい人だと思う37.9%
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偽善者だと思う10.3%
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ミーハーだと思う17.2%
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なんとも思わない34.5%
優しい人は多い、こんな弱小アカウントに反応してくださる方がこんなにいるなんて。
29人の方が親切にもアンケートに答えてくれました。
弱小アカウントなので誰にも相手にはされないものだと思っていましたが29人の方が反応してくれました。
ありがとうございます。
一番多かったのは心優しい人でした。
これが意外だったのですが、ド直球に優しさを感じたのですね。
花をたむけに来る行動を優しい行動に見えるという事は大切なのかもしれないと、深く感じる事になりました。
考えてみれば、わざわざ自分の時間でお金を払って花を買い、その足で現場まで行くという行為、めったな事ではできませんよね。
それが優しさかどうかは別としてなかなかできるものでは無いです。
そのような行為を好意的に感じるという事は、自分自身の心にゆとりがあり、優しさがあるのだと思います。
そのように考える事によって心のゆとりは広まり、気持ちは穏やかになることもあるような気がします。
気持ちがおだやかになれば、体もリラックスできて、体調も良くなるなんてこともあるでしょう。
次いで多かったのが
どうでもいい!!
このどうでもいい!これは私自身一番に馴染みます。
自分自身ニュースや実体験の出来事に対して
どうでもいい
と納得?することが非常に多いのです。
そうしないとやっていられないという事もありますが…
このどうでもいいは、上手に使うととても便利なので、私もよく使います。
結局他人事だし、首を突っ込んでもどうなる事でもない、自分自身の得にもならない。
そんな心情なのでしょう、非常によくわかります。
このブログ内では、
この
”どうでもいい”
は悪い考えではないという解釈で押し進みます。
いろいろ考えても、どうにもならないと判断したのならば、どうでもよいとバッサリ切って次の事を考える。
終わったことは気にしない、過去の事にはこだわらない、他人に口出しはしない。
白黒はっきりしているので、考え込むことは無いので頭の中はいつでもスッキリしています。少なくとも思い悩むことにはなりません。
だから、「どうでもいい」は納得できる回答でした。
どうでもいい
私も本当にそのように思います。
このブログもどうでもいいのです。
【どうでもいい優しさ】
この二つの回答を見て何か感じるモノはないのかと自問してみると、あまりうまくまとまるようには感じられませんが、なんとかまとめようとしてみます。
トップ2を掛け合わせてうまく前向きに考える事ができるのか?
考えてみました。
どうでもいいけど優しさがある
これは自分にもマッチする考え方ではなかろうか。
しかし、もっといい方法があるんですよ~
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