突然ですが引用です。
宗教があればどんな死に方をしても構いません。~中略~ のたうちまわって死んでもいいんです。どんな死に方をしてもいいんですから、自殺だって許されるわけです。もっとも、カトリックやイスラム教では、自殺は基本的に禁じられていますが、仏教では決して悪い事とはされていません。自殺しても阿弥陀さんはちゃんと仏の国に迎え入れてくれるんです。
引用・ひろさちやの笑って死ぬヒント 著・ひろさちや
えっ!そうなの?
なんと懐の深い世界観なんだろうと感心してしまうのですが…
ほんなら自殺してさっさと現世とお別れしようじゃないかと思う人もいそうだけど、そう簡単には自殺なんかできませんよね。
恐いし、痛そうだし、なんか嫌悪感がある、
でも、
死にたい、楽に死にたいと考える人は多いと思います。
まあ、いつの世もそれは変わらないのだと思います。
半分動物のような、狩猟採集生活をしているのなら争いも自殺も無かったかもしれない、という研究がなされているようですが、昔の事がわかったところで死にたいという気持ちは変わりません。
個人的に思う事は、【自殺は絶対にいけませんっ!】って言われると心が
キュッとなりませんか?
自殺に限らず、
絶対にやるなよって言われるとチョット緊張します。
緊張すると体はストレスと感じて、発汗や心肺機能を高めるために呼吸と脈拍が激しくなり、危機を乗り越えようとします、脳内では交感神経反応をします。
絶対にっ!
という言葉には、心身共にストレス反応を引き起こす原因にもなっています。
もちろんストレスは生きていく事には必要なモノです。
動物的に考えると、遠くで天敵の匂いや鳴き声を感知した場合に緊張が走ります。
心肺機能を急激に高めて、今すぐ走って飛んで逃げる準備をするためです。
これは動物的考え方になります。では、現代の人間社会ではどうでしょう。
学校や会社、家庭で日々ストレスを抱えている人がいたとした場合、生きるのが嫌になった場合、
自殺は絶対にいけません。
絶対にがそこで出てきます。
365日心に大ダメージを受けているところに絶対のトドメがやってきます。
そりゃあ絶望するでしょう。
だってそこには救いが無いもん。
死生観について3年以上勉強してきたけど、自殺したいと考えている人は真面目なので、あらゆる事を考えて実行して壁を何度も乗り越えてそれでもダメだったという人が多いように感じます。
八方塞がりで聞く耳を持たない、聞く耳を持たないというよりは、
”そんな上っ面なアドバイスなんて何万回も聞いたよ”
なんて事なのでしょう。
精神科に通っても何十年も改善せず、何回も自殺未遂をしたり…
そのような人は、自殺に希望を託すしかないんじゃないかなぁと思ったりするわけです。
キレイごとを抜きとして。
そんなことをあれこれ考えていたところに出会った本があります。
この本に書いてあった記事を基に仏教と自殺について考えてみようと思います。
自殺を抑止したいなんて神様のようなことができるはずも無いので、バカな素人の自分がそんなおこがましい事はできません。
こんな話もあるんだなぁというスタンスで思ったことを綴ってみたいと思います。