死を選択できることは恵まれている
結論としては、選択権があるということは心のゆとりが少なからず存在するということで間違いないと思います。
たとえそれが自殺でも
地獄道では選択権などは無いものだと思います。自分の意志で行動できる今現在は少しは恵まれているものと考える事ができるはずです。
しかし、話はそう簡単ではありません。今現在死にたいと願う人は少なからず存在していますので、この方々の意見も十分に尊重しないといけません。
一言で”死にたいと思っている人”といっても人それぞれ、十人十色の死生観がありますので一括りにすることは決してできません。
市役所に書類を提出して人間やめますって言ってハンコ押して、ハイさようならって訳にはいかないからです。
自分の事を殺さないと自殺は成立しないからです
自殺の事を殺人と呼ぶ人もいるでしょう。
人を殺すことは大変な事ですよね、なかなかできる事ではありません。
自殺することが怖い、痛い、など躊躇する気持ちが少しでもあるのなら
少し待つ
少し考える
という選択権は現世にはあります。
地獄道では選択権は一切ありません。
現世では選択権があります。
死のうが生きようが
進もうが留まろうが
選択権がある事は、心の余裕が少しはあるという意識を持つことが大切なのだと思います。
考える時間も人によってはあります。
決めるのは自分ですので、ゆっくり考えたらいいと思います。
このブログでは頑張って生きてほしいとは言いません。
決めるのはあなただからです。
お疲れさまでした
こんなところまで読んでくださってありがとうございました。
より良く生きてより良く死にましょう
”死テラシーブログ”
コメント