死を選べる事は幸せだ! ”地獄道”

おしえ

皆さんこんにちは、秘境にひっそり佇む

”死テラシーブログ” へようこそ!

どのようにしてここまでいらしたのか、

遠いところまでよくいらっしゃいました。

皆様の奇跡的な出会いに感謝いたします。

今回は、仏教の教えにもあります

地獄道と自殺

について考えてみたいと思います。

 

まさに今が地獄だ!

今現在生きるのがとてもつらいという方は多いと思います。

毎日が地獄のようだと感じる方も多いことでしょう。

仏教では、生きる事は

”苦” く

の一つに数えられています。

生きる事自体苦しい事なのだそうです。

いきなり”生きる事は苦しい事だ”なんて言ってくるなんて、なかなかやりますね~、出鼻をくじいてくるような感じがあります。

かっこいいことをいうでもなく、理想だけを押し付けるふうでもなく。

ちょっと詳しく説明しますと、生きる場所や時代、親を選べないということも含めての苦しみという解釈みたいです。確かにそうですよね、親ガチャでは無いですけど産まれてくる時は何かを選択して決定してこの世に生まれて来た訳ではありません。

でも、選ぶことができなくても運が良い人などは裕福でお気楽に一生楽しく生きていけることなどもあるかと思います。このように他人の事に目が行ってしまい羨ましく思う事、これこそが煩悩になってくるのだと思います。

上を見たらキリがない、頭もよくスタイルもよくお金持ちで人気があって…そんな人はゴロゴロいます。

生きる事は苦だなんて言ってるけど、楽しそうに幸せそうにしている人いっぱいいるじゃんって思いませんか?

そう思ってしまうことが蓄積されれば餓鬼道(貪欲)という地獄道に似たようなところへ行く事になるようです。

でも、今が地獄と感じる人ならば、今度はどこへ行くのでしょう?

今現在の生活が地獄に感じている人が、死んで本当の地獄道に行くとなったら、本当にやってられないですよね。

地獄は今まさにここにあるモノと角度を変えて考えてみると、今の生活が違った見方ができるのではないでしょうか。

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