生きづらさは稲作伝来のせいだ!                  

歴史

旧石器時代人(先土器)→縄文人→弥生人の糧

日本列島の住人たちはいったいどこから来たのでしょうか、簡単に見て生きましょう。

太古の昔、そのまた昔、大昔日本列島はユーラシア大陸とつながっていて、地殻運動により島になりました。

島になってはいたものの氷期になり海面が下がって、海が凍って大陸と陸続きになる場所や海峡が狭まって大陸から人が入り込んできやすくなりました。

そんな人たちの食生活とは、超カンタン説明です。

旧石器時代(先土器)の人々は

この時代は氷期と呼ばれて、寒い環境でした。

エスキモーのような生活様式で、マンモスのような大型動物を捉えて生きていました。

火を使い暖をとったり、肉を調理したりしていました。

打製石器を使用して、獲物を捕らえたり調理したりしていました。

男は狩りをし、グループ全体で分担して行われていました。女、子供は木の実などの採集や調理を担当して、こちらも当然役割分担がありました。

捕らえた獲物は集落の皆で分け合っていました。

旧石器時代の共同体は、厳しい自然環境の中で生き抜くために、協力と分業を重視した生活を送っていました。また、獲物を求めて移住しながらの生活をしていました。

と、ここまでが旧石器時代の人々の生活ぶり。

縄文時代と弥生人の人々は

この時代は間氷期と呼ばれ、温暖な気候でした。  ちなみに現代も間氷期。

基本的に旧石器時代(先土器)時代の生活を踏襲していますが、最大の違いは気温が高くなり海面が上昇して、野生生物や植物が氷期の時期から変わっていったという点があります。

野生動物は小型化して、野山ではイノシシやウサギ、海では貝や魚類を採っていました。

また、栗や大豆、アワ、キビなどの穀物なども栽培していました。

温暖になり食料が手に入れやすくなり、人々は季節や地域に違いはあれど定住し、集落を築き共同体の結束力が強まります。

縄文式土器や土偶、食器や祭祀の道具などの焼き物を作っていたりします。

共同作業により役割分担が決まっており、収穫したものは皆で平等に分けていたそうです。

ここまでが縄文時代の人々のザックリ説明。

次は問題の弥生人にまいります。

弥生人の人々

弥生時代と言えば、なんて言ったって

稲作!

ですよね!

大陸から海を渡ってやってきた人々(渡来人)が日本列島に到達しました。

そして、大陸からの文化や技術も同時に持ち込まれてきました。

鉄器や青銅器、織り物技術、農業の発展による階級社会などなど…

その一つに稲作が持ち込まれてきました。

日本に稲作が伝わり、人々は安定した食料確保ができるようになり、生活が豊かになりましたとさ…お終い…

教科書ではそうなんですが、そうそう簡単な事ではありませんでした。

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